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大気汚染

大気汚染の日本の歴史とは?経済発展に伴う法整備や環境の変化について解説

大気汚染は世界中で取り組まれている環境問題の1つです。日本でも法整備や取組みは数十年前から行われています。

日本と大気汚染の歴史はどのような歩みがあったのか、そして法整備や環境の変化がどのように起こってきたのか解説します。

大気汚染は生産・消費活動が原因の可能性も?人に及ぶ被害や影響について知ろう

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第二次世界大戦前の日本の大気汚染の歴史

排気ガス

日本における大気汚染の歴史は明治時代にまで遡ります。この時代では、開国とともに欧米化が進み、他国による侵略から守るため近代化を目標として富国強兵を目指し、その一環として殖産興業政策が推進されました。

近代産業を牽引していく中で中心的な役割を果たしたのが、紡績業や銅精錬業、製鉄業です。これらの事業の規模が拡大するにつれて、著しい大気汚染が発生しました。

特に東京や大阪などの大都市においては、紡績業などの近代産業の立地、鍛冶業など各種町工場が集中して立地したこと、さらに大正時代には火力発電所の立地も重なり、大気汚染は進行していきました。

また自動車交通による大気汚染も加わり、複合した都市大気汚染が生じてしまいました。

一方で地方でも精錬による大気汚染が起こっています。栃木県の足尾銅山、愛媛県の別子銅山、茨城県の日立鉱山などの銅精錬所周辺地域にて、硫黄酸化物による大気汚染が周辺の農林水産業に深刻な被害をもたらしました。

特に足尾銅山で起こった鉱毒事件は大きな公害事件でした。。
この銅山では、銅の生産量が日本最大にまで急伸しましたが、一方で渡良瀬川の洪水の発生も相まって鉱石の上層に浮かぶ非金属のカスである鉱滓が流出し、農地の汚染が進行しました。

そのほか、精錬工程で出る亜硫酸ガスが周辺の山林の植物も汚染し、銅精錬は大気を含む周辺の環境を大きく汚染することになったのです。

  • 日本における大気汚染の歴史は明治時代からある
  • 東京や大阪などの大都市においては、紡績業などの近代産業の立地、鍛冶業など各種町工場が集中して立地したこと、大正時代には火力発電所の立地も重なり、大気汚染は進行した
  • 地方でも精錬による大気汚染が起こっており、特に足尾銅山で起こった鉱毒事件は大きな公害事件として知られている

(出典:環境再生保全機構「第二次世界大戦前の大気汚染(~1944年:昭和19年以前)」)

高度経済成長期における日本の大気汚染の歴史

排気ガス 町

第二次世界大戦を敗戦で幕を閉じた日本は、その後アメリカの統治下で民主化を進め、独立を認められた後は速やかな経済的復興を目指し、著しい工業化が進みました。

政策や各企業の経営努力、世界情勢の影響により高度経済成長期に突入し、日本は飛躍的な発展を遂げることになります。
一方で、急速な工業化が大気汚染を悪化させることにもなりました。

(出典:環境再生保全機構「石油危機と安定経済成長期以降の大気汚染」)

戦後における大気汚染について

戦後の工業復興は石炭を主要エネルギーとしており、各地で降下ばいじんや硫黄酸化物を主とした大気汚染が相次いで引き起こされました。

これにより各地で住民から苦情が出たことで、東京都や大阪府などのいくつかの地方公共団体は公害防止条例を制定しています。

石炭を燃焼させることで発生する黒鉛や煤(すす)は集塵装置の導入によって大幅に改善されることになりました。

しかし高度経済成長期初期には、全国の主な工業都市の住民に、大気汚染を原因とする呼吸器機能障害が発生しています。

工場や事業場から出る硫黄酸化物やばいじんなどによる大気汚染によって視界が悪くなり、一時は日中にライトをつけなければ自動車の運転もままならないほどの視野となって、硫黄酸化物の鼻を刺すような臭いが立ち込めるほど汚染されていました。

(出典:環境再生保全機構「高度経済成長前半の大気汚染(1945年~64年:昭和20~30年代)」)

高度経済成長と公害の激化

高度経済成長を続けた1960年代の実績経済成長率は10%を超えており、この期間、工業化は進行を止めることがなかったため、エネルギー需要はさらなる拡大を見せていました。

1965年から1974年までには2倍強、1955年と比較すると7倍にまで増大しました。この頃は大気汚染を中心とした水質汚濁や自然破壊、新幹線などによる騒音や振動を省みることはなく、産業の発展と経済の成長が優先されていました。

これにより環境破壊は深刻度を増し、大きな被害をもたらします。三井金属鉱業株式会社による排水でイタイイタイ病が発生し、熊本県では新日本窒素肥料の排水、新潟県では昭和電工による排水で水俣病が発生したのです。

政府統一見解によれば、これらの健康被害は産業型の公害として明らかになっています。

同様に三重県の四日市コンビナートから発生した大気汚染物質により発症した集団ぜんそく障害が四日市ぜんそくです。イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病と合わせて四大公害病として大きな環境問題として取り上げられました。

経済成長と環境保全を二者択一の問題と捉えたとき、産業発展のためであっても公害は絶対に許されない、という世論の急激な高まりから、公害対策に関する施策が総合的に進められることになりました。

この政府統一見解が出る1年前の1967年には公害対策基本法、そして見解が発表された1968年には大気汚染防止法が成立しています。
さらに1972年には四日市公害裁判において原告被害者側勝訴の判決が下され、政府や産業界に大きな影響を及ぼしました。これにより1973年には公害健康被害補償法も制定される運びとなっています。

(出典:環境再生保全機構「高度経済成長と公害の激化(1965~1974年:昭和20年~30年代)」)

石油危機による大気汚染への影響

1973年、公害に対しての補償がなされるようになったこの年、中東情勢の悪化から日本は第一次石油危機に陥りました。

これにより石油の供給が滞り高騰したことから、経済成長は一気に落ち込むことになります。
また石油危機により、大気汚染も大きな転換期を迎えることとなりました。

エネルギー価格の高騰により、基礎資材型産業を中心に省資源・省エネルギーへの取り組みを促進し、環境負担の低減に寄与し、さらに加工組立型産業の技術革新が進展しました。

それまで大気汚染の中心となっていた硫黄酸化物対策を中心とした産業公害型の大気汚染は対策が着実な進展を見せ、改善しています。

しかしその成果とは裏腹に都市・生活型の大気汚染が顕在化してきました。工場や事業場に加え、急増した自動車などの移動手段から窒素酸化物を主とした汚染物質が増加したのです。
ガソリン車から出る一酸化炭素濃度については当時あった運輸省の行政指導や大気汚染防止法に基づく法的規制により、抑制されていました。

窒素酸化物などは1971年に大気汚染防止法に追加されていたものの、本格的に規制されるようになったのは日本版マスキー法(自動車排出ガス規制)と呼ばれた1978年からでした。
マスキー法とは1970年にアメリカの民主党に所属していたマスキー上院議員が提案した大気浄化法改正案がマスキー法と呼ばれたことが所以となっています。

  • 第二次世界大戦後に経済的復興を目指し、著しい工業化が進んだが、急速な工業化が大気汚染を悪化させてしまうことになった
  • 大気汚染を中心とした水質汚濁や自然破壊、新幹線などによる騒音や振動を省みることはなく、産業の発展と経済の成長が優先されていた
  • 大気汚染物質によって発生した四大公害病が大きな環境問題として取り上げられた

(出典:環境再生保全機構「日本版マスキー法(自動車排出ガス規制)の実現(1978年)」)

近代における日本の大気汚染の歴史

排気ガス 車

戦後の日本は大気汚染への対策が後手となっていました。

しかし公害にまで発展した大気汚染を含む環境問題を改善すべく、様々な法整備や対策による厳しい規制が始まったのです。

一時は大きな改善が見られましたが、石油危機を迎えたこと、そして都市の発展や生活の変遷により、産業型大気汚染から新たな都市・生活型大気汚染が顕在化するようになりました。
これに対して日本政府はさらなる対応を迫られることになったのです。

1985年以降の都市・生活型の大気汚染

1985年以降に明らかになったのが環境基準達成状況の悪化でした。これは大気汚染の原因が硫黄酸化物から窒素酸化物に移り変わったためです。

主な原因としては、自動車の普及が大きな影響を及ぼしており、1998年には全国の自動車排出ガス測定局での窒素酸化物の測定状況は3割以上について、環境基準の上限である0.06ppmを超過していました。

また浮遊粒子状物質による大気汚染も、環境基準達成率は依然として低い水準で推移していました。
産業型大気汚染は工場や事業場などによる大規模な汚染物質排出が原因となるため、顕在化しやすく、原因者と被害者が区別されていました。

しかし都市・生活型大気汚染では、生活する人々が原因者であり、被害者であるとともに、それぞれが出す汚染物質は微量であっても、多くの人々の生活により排出されることから顕在化されにくく、慢性的な汚染状態が続く特徴があります。

このような都市・生活型大気汚染の改善および克服には人々の生活パターンの変革が必要でした。

(出典:環境再生保全機構「都市・生活型大気汚染(1985年~2000年:昭和60年代~平成10年代前半)」)

1999年代の大気汚染による地球環境問題

1990年代に入り、環境問題のグローバル化が進行しました。国際社会において、大気汚染を含む環境問題が注目され、それぞれの国の問題ではなく地球規模の問題として取り上げられたのです。

これにより「持続可能な開発」が人類の現在および将来の基本的課題であるとの共通認識が形成されました。

大気については、フロンによるオゾン層の破壊、酸性雨、地球温暖化といった地球規模の環境問題が大きな課題として浮かび上がり、これに対して先進国と開発途上国が一体となった取り組みを行う必要があるとの共通認識が生まれています。

同時に開発途上国においては都市の大気汚染をはじめ、地域問題も激化しつつあることから、日本もこの問題の解決に協力が求められています。

(出典:環境再生保全機構「地球化時代の大気汚染(1990年代~2000年:平成元年~平成10年代前半)」)

環境省の誕生

日本の大気汚染の変遷、そして世界の大気汚染を含む環境問題への取り組みから、2001年に行われた中央省庁再編に伴い、新たに環境省が発足しました。

政府全体の環境政策の企画立案をはじめ、それまで環境庁が行ってきた仕事の引継ぎ、厚生省の所管であった廃棄物リサイクル対策を一元的に行うといった役割を担っています。

これに伴い、大気汚染などの公害防止のための規制、監視測定、公害健康被害者の補償なども一元的に担当していくことになりました。

また化学物質の審査・PRTR(化学物質排出移動量届出制度)・製造規制、地球温暖化対策、オゾン層保護などは他の府省と共同して担当しています。

  • 都市の発展や生活の変遷により、産業型大気汚染から新たな都市・生活型大気汚染が顕在化するようになった
  • 大気汚染はそれぞれの国の問題ではなく地球規模の問題として取り上げられ、「持続可能な開発」が人類の現在および将来の基本的課題であるとの共通認識が形成された
  • 日本の大気汚染の変遷、世界の大気汚染を含む環境問題への取り組みから、2001年に行われた中央省庁再編に伴い、環境省が発足した

 (出典:環境再生保全機構「環境省の発足と大気汚染対策(2001年~平成13年以降)」)

大気汚染は現在でも大きな課題に

排気ガス

明治以降、日本では大気汚染が進行してしまい、その影響で高度経済成長には法整備や様々な対策を行うことになりました。

当時の汚染原因は改善されたものの、人の生活の変遷に伴い、大気汚染も変わっていきました。
その影響は現在まで続いており、大きな課題として存在しています。今なお続く大気汚染を改善するには、私たちの生活を見直し、一人ひとりが取り組んでいく必要があります。
どのような問題が起こっているのか、私たちにできることが何なのかを知り、すぐにでもできることから取り組んでいきましょう。

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