不平等

男女不平等の歴史を振り返ろう!ジェンダー問題とは

  • 2020年8月21日
  • 2022年11月22日
  • 不平等

私たちの世界には男女の間に格差があり、不平等な状態で日常を過ごしているという現実があります。国や地域ごとにその差はありますが、どうしても起こる差別によって、男女不平等は生まれています。

男女不平等に対しては、日本を含め世界中で数々の取り組みがされてきましたが、歴史上どのような流れがあったのか、この記事で紹介します。

不平等とは?人や国の間で生まれる差別をなくそう!

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男女不平等とジェンダーギャップ指数

世界には今も、男女間にある不平等を訴え、格差を埋めようという取り組みが様々な国や地域で行われています。

男女間の不平等は古くから存在していますが、それは狩猟をしていた頃から男性は狩りに、女性はコミュニティを築き上げ家事を行うという固定観念からきている部分もあります。
確かに男性と女性では身体的な違いから、そのような役割の違いが生まれてくることは必然だったかもしれません。

しかし男性が優位であり、女性が劣るということはありません。また現代において、狩猟はなされず、男女が公平に活躍できる社会が築かれようとしています。
そんな中で古い慣習や性による差別によって、不平等により様々な機会を奪われてしまうのは、経済や社会の発展の妨げとなる可能性もあります。
言い換えれば、男女が公平かつ平等に基本的人権を享受することができれば、持続可能な社会を推進することにもつながります。

男女不平等や女性差別は撤廃されなければならず、そのためにジェンダーという言葉が用いられます。ジェンダーとは「性」を意味した言葉ではありますが、身体的な性ではなく、社会的・文化的性という意味を持ちます。

つまりジェンダーの平等とは、社会的あるいは文化的な立場での男女の平等を意味し、そのような平等を考えていくために用いられる文法用語です。

男女格差を示すジェンダーギャップ指数

世界では、男女不平等や男女格差、女性差別を測る上で、ジェンダーギャップ指数というものを使用しています。
ジェンダーギャップ指数とは、経済や政治、教育、健康の4つの分野で得られたデータから算出され、数値が0に近いほど完全不平等、1に近いほど完全平等の状態にあるとしています。

ほぼ毎年公表されている数値ですが、2022年の日本の総合スコアは0.650で、146ヶ国中116位とかなり低い数値と順位になりました。
2021年は156ヶ国中120位でした。

詳細を見ると、教育においては1位と昨年の92位から大きく飛躍しました。他には、健康では63位、特に経済では121位、政治では139位とかなり悪い結果となりました。
一方で、1位は12年連続でアイスランドがランクインしており、スコアは0.908と高い数値を記録しています。

  • 現代は男女が公平に活躍できる社会が築かれようとしている
  • ジェンダーの平等とは、社会的あるいは文化的な立場での男女の平等を意味している
  • 2022年の日本のジェンダーギャップ指数の総合スコアは0.650で、146ヶ国中116位
  • 男女不平等の問題は、SDGsの目標5「ジェンダー平等を実現しよう」の達成に関わる問題です。この目標のターゲットや現状を解説しているこちらの記事もぜひご一読下さい。
    >>持続可能な開発目標・SDGsの目標5「ジェンダー平等を実現しよう」のターゲットや現状は?

    (出典:男女共同参画局「 世界経済フォーラムが「ジェンダー・ギャップ指数2022」を公表」,2022)

    世界の男女不平等の歴史

    男女不平等の歴史は世界的な取り組みにより撤廃を進めていますが、各国の文化や風習、情勢とも深く関わっているため、対策としては各々の国政に任されてきた部分はあります。
    そこには民衆、特に女性を中心とした運動もあり、その影響で男女不平等の状態を是正しようとした取り組みがありましたが、日本とアイスランドでは大きな差が出ています。
    下記では国際機関の取り組み、日本やアイスランドでジェンダーの平等に取り組んできた歴史について、それぞれの動きを見てみましょう。

    国際労働機関のジェンダー平等への取り組み

    ジェンダーの平等に関しては、国際労働機関(ILO)の一部門がその役割を担ってきました。
    1919年に設立された同機関は、女性労働者の権利の保全を第一に活動しています。そのため同年に行われた初回のILO総会において、「母性保護条約」を採択しました。

    さらに1951年から1958年には男女が同一価値労働に対して同一の賃金を得るための権利を保障するために、「同一報酬条約」も採択しています。
    これはその時代までなかった女性への所得の権利を保障する画期的な条約であったと言われています。
    ここまでは女性に対しての労働に対する権利を守るためであったため、同一報酬条約をさらに発展させ、様々な差別を網羅する「差別待遇(雇用および職業)条約」へと進展させていきました。

    しかしこれだけの条約を持ってしても、すべての女性差別を撤廃することはできず、平等な権利や賃金を求める抗議は度々起こりました。
    この抗議でうねりが起こり、1979年に国際連合による「女子差別撤廃条約」の採択にまで至っています。
    女性の権利章典とまで言われたこの条約の2年後には、男女双方の労働者に対する平等な機会と処遇の確保を目指した「家族的責任を有する労働者条件」もILOで採択しています。

    さらに2000年には「母性保護条約」を採択し、母性保護に関する国際労働基準を出しました。この条約では健康保護や出産休暇と給与、雇用の保護、非差別および哺乳など広範囲な項目を取り扱って、女性特有の問題に対して取り扱っています。
    このように働く女性に関する多くの条約を採択してきましたが、取り組みは今後も続けていく必要があると考えられています。

    (出典:国際労働機関(ILO)「ジェンダー」)

    日本のジェンダー平等への取り組み

    日本においても女性の立場は長らく不平等の中に置かれており、現在も課題がいくつもある状態です。

    日本の歴史上、女性の解放と権利を訴えた人物としてよく取り上げられるのが、平塚らいてう(平塚雷鳥)という女性です。
    彼女は1911年に女性の解放を訴え、青鞜社(せいとうしゃ)を設立し、その考えを広めるために「青鞜」を発刊しました。

    女性解放運動家として、戦前から戦後に渡って精力的に活動し、大正から昭和にかけては女性の権利獲得のため新婦人協会を新たに設立し、婦人参政権などを訴えかけた人物でもあります。
    一度は活動を停止したものの、第二次世界大戦後には婦人運動とともに、反戦や平和運動も推進していきました。

    一方で、国内で女性の参政権が認められたのは、第二次世界大戦で敗れ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の監視下の元で民主化を進めていた1945年のことでした。
    それまでは男性のみが認められていた参政権に女性が加わったことは、女性差別に対して大きな躍進をしたと言えます。

    国際連合では1952年に女性の参政権に関する条約が採択されましたが、日本がこの条約を批准したのは1955年のことでした。
    しかしその後は、ILO(国際労働機関)が採択した同一報酬条約に1968年に批准して以降、政府に目立った動きはなく、1985年になってようやく雇用に関する男女の不平等をなくすための「男女雇用機会均等法」を成立させました。

    この法律は雇用の際、募集や採用、配置、福利厚生、退職、解雇などにおける男女の差別的な取扱いを禁止するものです。
    世界ではすでに労働に関する男女格差の是正に関する動きがあったことから、かなり遅れての対応であったことは否めません。

    その後は育児休業法やILOが採択した「家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約」を批准しましたが、夫婦別性や待婚機関などを含めた民法の改正は実現せず、労働以外での権利の保障などはなされないままでした。

    育児休業法が育児・介護休業法に改正され、男女雇用機会均等法も昇進の差別やセクシャルハラスメント防止の配慮などが追加される中で、1999年になり男女共同参画社会基本法が成立することで、労働だけではない男女平等社会を目指す社会活動全体への取り組みが始まりました。

    しかし、女性の権利や保護をするためにDV防止法やパートタイム労働法の改正などを行い、重要な役割に女性を就任させる動きは見られましたが、男女格差はなかなか埋められず、現在のジェンダーギャップ指数に見るような男女不平等の状態に陥っています。

    (出典:とよなか男女共同参画推進センター「男女共同参画の歴史」)

    アイスランドのジェンダー平等への取り組み

    ジェンダーギャップ指数において最も男女格差が少ないとされるアイスランドも、かつては男性中心の社会でした。
    そんな中で平塚らいてうのように声をあげる女性の存在があったからこそ、現在の姿があるとされています。

    ではなぜこれほどまでに日本とアイスランドで大きな違いができたかと問われれば、それは声を上げてきた女性の運動規模と、頻度が一つの要因に挙がります。
    特に転機となったのは1975年に起こった男女格差や性別による役割分担への抗議の声でした。
    この抗議では成人女性のほとんどが仕事や家事を放棄し、声を挙げたことから、現在も10月24日は女性の休日として知られています。

    女性がどれだけ経済に貢献しているかを示すことを目的としたストライキは、アイスランドの社会において大きな影響を与えました。
    これによりアイスランドの男女格差の是正は大きく進展することとなり、1980年にはアイスランド初の女性大統領が誕生するまでになりました。
    もちろん政党や国会議員への女性の参画も非常に多くなりました。

    転換期としてもう一つ上げられるのが、リーマンショックが起こった2008年です。余波を受けたアイスランドは通貨が暴落し、無謀なリスクをとった金融機関が次々と追い込まれるという惨事が起こりました。

    その渦中で、女性が立ち上げた投資銀行が堅実な経営を続けたことで、黒字経営を続行しており、経済界でも女性が活躍できることが証明されました。
    その後2010年に、企業役員の4割を女性に就任させるクオータ法を導入することを政府が決定しました。
    これにより性的少数者を含んだ、ジェンダーの平等に向けた政策を推進しています。

    日本との大きな違いは、政界や経済界に女性を多く参画させているところにあります。女性の能力を認め、男女の格差のない社会作りをすることで、大きな成功を納めている例として注目できます。

  • 日本では様々な男女平等社会を目指した法律や制度が成立しているが、未だ男女不平等の状態にある
  • 1985年に雇用に関する男女の不平等をなくすための「男女雇用機会均等法」が成立
  • アイスランドと日本の大きな違いは、政界や経済界に女性を多く参画させているところ
  • 男女がともに活躍できるジェンダー平等の社会を作るために

    歴史上において、女性は差別により様々な機会を奪われてきました。その状況に対する抗議は世界中の様々な国や地域でなされてきています。

    しかし日本のように、法律や制度があるものの、未だに男女間の格差が埋められず、男女不平等である国もあります。逆に、アイスランドのようにお互いを認め、男性だけでなく女性も活躍できるジェンダー平等の社会を作り上げている国もあります。

    文化や風習などは違えど、見習える部分は数々あり、男女平等の社会を作るためにも当事者である私たちが考え、取り組んでいかなければ日本にジェンダー平等をもたらすことはできません。

    間違えてはいけないのが、男尊女卑ではなく、女尊男卑でもない、男女平等を目指していくことが大切です。
    まずは一人ひとりが男女不平等の歴史や現在の課題について学び、どうしていくべきか考えてみましょう。

    こちらの本には、行動経済学の観点から、日本でも急ピッチで進められている「女性活躍推進」や「働き方改革」にも大いに役立つ具体的な解決策が示されています。
    ジェンダー平等のために自分がどんな行動をしたらいいのか?参考になります。

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