あの日、奪われたもの──7歳の胸に残ったおばあちゃんの笑顔

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「お父さんとお母さんを困らせちゃいけない…」
そう話すのは、能登半島地震で被災した珠洲市に暮らすアサヒさん(7歳)です。
 
自宅は半壊し、大好きだったおばあちゃんは帰らぬ人に。

学校は再開し、家族は仮設住宅に移り住むこともでき、生活は少しずつ元に戻りつつあるように見えます。

しかし、たった7歳で経験するにはあまりにも残酷な出来事で、心の傷は簡単には癒えませんでした。

震災で奪われた日常の中、アサヒさんに訪れた新たな出会いとは──。

あの日、突然奪われた笑顔と日常

2024年1月1日の午後4時10分。

両親、祖父母、弟の家族6人でリビングに集まり、こたつに入りながらテレビの特番を見ていました。

「この芸人さん、また同じこと言ってるわ!」

おばあちゃんの笑い声が響き、みんながつられて笑った──その瞬間でした。

ドン、と突き上げるような衝撃。家全体がぐらりと大きく揺れ、照明が激しく揺れました。

「地震だ!」

父の叫び声に、全員が一斉に立ち上がりました。

食器棚の扉が開き、皿が落ちる音。壁の時計が外れて床に転がります。

「玄関の外に!」母が叫び、おじいちゃんがすぐにおばあちゃんの腕を支えました。

アサヒさんは、父に手を強く握られ、弟は母に抱えられるようにして、一緒に玄関へ走ります。

ところが、激しい揺れの中で、おばあちゃんが廊下で足を取られ、転んでしまいました。

「おばあちゃん!」

母が振り返りますが、家具が倒れ、ほこりが舞い上がり、視界が白くかすみます。

玄関を抜け、ようやく外に出たとき、アサヒさんは思わず振り返りました。
 

崩れかけた屋根の向こうに、 おばあちゃんの姿は見えません。

「おばあちゃんがいない!」

おじいちゃんと母が叫びました。けれど家の中から返事はありません。

壁が一部崩れ落ち、家の中はもう傾いていました。

「私、行ってくる!」と母が叫び、抱えていた弟を父に預けて玄関へ駆け戻ろうすると

「ダメだ、今は危ない!」 父が腕をつかんで止めました。

まだ揺れが続いており、屋根から瓦が落ちてきます。

アサヒさんは父の手の中で動けず、ただ家を見つめることしかできませんでした。

胸がどくどくと音を立てて、息が苦しくなります。

母の泣き声、おじいちゃんの叫び、遠くで響くサイレンの音。

「津波の心配があります、高い場所へ避難してください」という防災無線が流れました。

「行こう、逃げないと俺たちも危ない」

父はそう言い、泣き叫ぶ母を抱きかかえるようにして、その場を離れました。

おじいちゃんは何度も家を振り返りながら、「すぐ戻るからな…」と小さくつぶやきました。

 
家族は避難所へ向かいました。
瓦礫の上を踏みしめるたび、土ぼこりが舞い、冷たい風が頬を刺します。
 
振り返ると、家の屋根の一部が崩れ落ちていくのが見えました。

「おばあちゃん…」

小さな声でつぶやいたけれど、誰の耳にも届かないほど風が強く吹いていました。

避難所の体育館に着いたころ、外はまだ明るさが残っていました。

すでにたくさんの人が集まっており、ざわめきと泣き声があちこちから聞こえます。

配られた毛布を広げ、家族で寄り添うように腰を下ろしました。

アサヒさんは体が冷えていることにも気づかず、ただぼんやりと床の木目を見つめていました。

「おばあちゃん、きっと大丈夫だよね」

母のその言葉に、誰も何も言い返せませんでした。

夜が少しずつ近づく中、蛍光灯の白い光だけが体育館を照らしていました。

「おばあちゃん、どこにいるの?」──届かなかった祈り

地元の消防団や住民たちは、地震の直後から懸命に捜索を続けていました。

毎日、誰かが見つかったという知らせが入るたび、アサヒさんの家族も胸をぎゅっと締めつけられる思いで耳を傾けました。

それでもおばあちゃんが見つかったという知らせは、なかなか届きません。


地震から2週間後、ようやくおばあちゃんが見つかりました。

けれど、その命はもう助かりませんでした。
 
母親は小さく震えながら、「ごめんね…助けられなくてごめんね」と何度もつぶやきます。

父親は硬い表情のまま、肩をぐっと落として静かにうなずきました。

アサヒさんは胸がぎゅっと痛くなり、涙も声も出ないまま、目の前におばあちゃんがいないことをぼんやりと受け止めました。
 

避難所では、毎晩ざわめきが絶えません。

床には毛布が並び、 夜になると寒さや誰かのイビキ、赤ちゃんの泣き声で、アサヒさんは何度も目をこすりました。

トイレに行くにも長い列ができ、食事も足りず、温かいご飯の匂いが恋しくなります。

「家に帰りたい…」

小さな声で弟がつぶやくと、アサヒさんも胸がきゅっと締めつけられました。
 

でも、大人もみんな大変な状況であることは、7歳のアサヒさんにもなんとなく分かっていました。

だから、自分が泣いたりわがままを言ったりして困らせてはいけないと思い、涙も気持ちもぐっとこらえます。

弟の手を握り、 「もう少しで帰れるよ」とそっと声をかけるのが、アサヒさんにできる精一杯のことでした。
 

避難所の冷たい床に横になりながらも、頭の中にはおばあちゃんの笑顔や一緒に過ごした日々がぐるぐると渦巻いていました。

7歳の小さな心に、悲しみと不安、疲れが重くのしかかっていたのです。

給食の匂いが呼び覚ます、あの日の記憶と寂しさ

1月22日、避難所での生活を続ける中、学校が再開しました。

久しぶりに 友だちの顔を見られるのはうれしかったけれど、教室の景色はどこか違って見えます。
 

空席になった友だちの机が2、3つあり、みんないつもより静かです。

避難のために金沢など別の町へ引っ越してしまった子がいたのです。

学校生活が始まってからも、アサヒさんの心には大きな穴がぽっかり開いたままでした。

授業も頭に入りにくく、遊ぶ気力も湧かず、食欲も減っていました。

自分でも気づかないうちに、 日々の小さな楽しみや安心感を失っていたのです。
 

アサヒさんの学校は給食室も被災していたため、しばらくはアルファ米やレトルト食品、バナナ、ヨーグルトなど簡易的な給食でした。

学校再開から1か月ほど経ち、給食が復活した日のことです。

温かいご飯を食べられる喜びとともに、湯気の立つご飯の匂いが教室に広がりました。

その匂いで、アサヒさんはおばあちゃんのことを思い出します。

「はい、熱いから気をつけてね」──いつもそう言いながらご飯をよそってくれたおばあちゃんの姿。

胸の奥がぎゅっと痛くなり、目の奥が熱くなりました。
 

友だちと遊んだり笑ったりする時間が少しずつ戻ってきても、アサヒさんの心には、あの日の悲しみが重くのしかかっています。

7歳にとって、こんな経験はあまりにも厳しいものでした。

そんな中、3か月後、ようやく家族は仮設住宅に移ることができました。

小さな部屋がいくつか並ぶプレハブの建物。窓の外には同じように避難してきた家族の姿が見えました。

「ここでまた一から始めようね」

お母さんのその言葉に、アサヒさんは小さくうなずきました。

久しぶりの胸の高鳴り──こどものひろばでの時間

仮設住宅での生活が始まり、少しずつ新しい生活には慣れてきました。

でも、小さな部屋に両親、弟、おじいちゃんの5人で暮らすのは窮屈で、家で勉強するスペースなんてありません。

宿題をやろうとしても、集中できず手が進まない日々が続きました。
 

外は土砂や瓦礫だらけで危なく、放課後に友達と遊べる場所もありません。

家ではゲームばかりして過ごす毎日。

地震が起きる前のような、のんびりとした日常とはほど遠い生活です。
 

そんなある日、母親がアサヒさんに声をかけました。

「ねえ、珠洲に新しくできた“こどものひろば”に行ってみる?」

「こどものひろば」とは、認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパンが被災地の子どもたちを支援するために運営している施設です。

最初はしぶしぶ、弟と一緒に連れられていったアサヒさん。

しかし、広々とした室内に足を踏み入れると、目の前にジャングルジムやボールプール、積み木や体を動かす遊具が広がっていました。

「わあ…すごい…」
 
久しぶりに胸が弾む瞬間です。
ボールを投げたり、トランポリンで跳ねたり、バランスボールに乗ったり。

体を動かす楽しさに、自然と笑顔がこぼれました。

普段は仮設住宅で静かに過ごしていた日々では味わえなかった、体を使う遊びの喜びです。
 

さらに、同じ年頃の子どもたちと少しずつ会話を交わすうちに、新しい友達もできました。

「おともだちになろう」

そう声をかけ合うと、いつの間にか仲良しの友達ができていました。

遊ぶ時間が終わる頃には、アサヒさんの顔も声もいきいきしています。
「楽しかった?」
「うん!ぼく、また遊びたい!」
「そっか。じゃあまた、遊びに来ようね」
 
久しぶりに、楽しそうに笑うアサヒさんを見て、母はとても安心した様子でした。

キャラクターが動いた瞬間──胸いっぱいに感じた喜び

こどものひろばで遊ぶ楽しさを少しずつ取り戻したアサヒさんに、母親が声をかけました。

「今度、珠洲でプログラミング教室があるんだって。行ってみる?」
 
それは、ピースワラベという団体が開いているプログラミング教室でした。

ピースワラベとは、「こどものひろば」を運営している認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパンが、困難を抱える子どもたちを支援するために立ち上げたプロジェクトです。
 

最初は「なにそれ…むずかしそう…」と少し身を引いていたアサヒさん。

「自分でゲームが作れるんだって!おもしろそうじゃない?」

「ゲームが作れるの?やってみたい!」

母に連れられて、弟と一緒に参加することに決めました。
 
会場に入ると、いくつかのパソコンが並んでいました。

家で父がパソコンを使っているのは見たことがありましたが、アサヒさん自身が触るのは初めてです。

胸がドキドキして、ワクワクが止まりません。

今回のテーマは「プログラミングで自分だけのゲームを作ろう!」。

珠洲市出身でアメリカで活躍するシステムエンジニア、舟木さんが講師です。

舟木さんは難しい言葉を使わず、画面を見せながらゲーム作りを通してプログラミングの仕組みを教えてくれました。
 
5、6人で1グループになり、一つのパソコンの前に座ります。

アサヒさんも高学年のお兄さんたちに混ざって座りました。
パソコンの使い方を教えてもらいながら、どんなふうにしたら面白くなるか相談し、みんなで試行錯誤します。

キャラクターの動きを決めたり、障害物を置いたり、効果音をつけたり。自分だけのゲームを作る作業に夢中です。

「ここにゴール作りたい!」

アサヒさんが言うと、「いいね!そうしよう」とお兄さんたちが意見を取り入れてくれました。

「もう少し難しくしようよ〜」という声も上がります。

「そうするか!アサヒくん、操作してみる?」

6年生のお兄さんが提案してくれました。

「やりたい!」

小さな指でマウスを操作し、何度も試すアサヒさん。

キャラクターが思い通りに動くたび、自然と笑顔がこぼれました。
 

最後には、自分たちの作ったゲームをみんなの前で発表。

アサヒさんのグループのゲームは大人気で、ほかの子どもたちからも「すごい!」と拍手が起こります。

ちょっとドキドキしたけれど、「自分が作ったんだ!」という誇らしい気持ちが胸いっぱいに広がりました。

おばあちゃんに届くように──笑顔で前を向く

家に帰ると、母親と父親は、久しぶりに元気そうな笑顔を見せるアサヒさんを見て、ほっとしたように微笑みました。

「楽しかった?」

「うん、すっごく楽しかった!おばあちゃんにも、見せてあげたかったな〜

「きっとお空で見てくれてるよ。“アサヒ、よくがんばったね”って笑ってると思うよ」

その言葉に、アサヒさんは少しだけ笑顔を見せました。
 

こどものひろばでみんなと遊び、プログラミング教室で夢中になってゲームを作るうちに、今まで感じていた楽しいと言う気持ちを徐々に思い出してきました。

そのおかげか、おばあちゃんのことを思い出す気持ちが、少しずつ変わっていきました。

前は思い出すたびに涙が出ていたのに、今は「見ててくれたらいいな」と、あたたかい気持ちで思い出せるようになっていたのです。
 

仮設住宅での窮屈な日々。

悲しい気持ちや不安でいっぱいだった毎日。

それでもこの日、アサヒさんは、自分の中に小さな光を見つけました。

遊ぶこと、笑うことの楽しさを思い出し、家族の表情も少しずつ明るさを取り戻していきます。
 

7歳の小さな心にとっては、大きすぎる悲しみの後でも、少しずつ前に進める日がある──。

そんな希望を感じた一日でした。

失われた日常に、新しい“学びと遊び”を

地震や災害で壊れた家や学校、遊び場を失った子どもたち。

仮設住宅に暮らせるようになっても、以前のような生活戻ってくるわけではありません。

習い事は中止になり、遊ぶ場所もなく、家の中で過ごす時間が増える——。

失われた日常の中で、子どもたちは孤独や不安を抱えながら過ごしています。

ピースワラベは、そんな被災地の子どもたちに「学び」と「遊び」の場を届ける活動を行っています。

・学びの場では、プログラミング教室や創作活動など、子どもたちが自由に考え、協力しながら挑戦する体験を提供します。
新しいことに挑戦する中で、「自分にもできる」という自信や未来への希望が生まれます。
 

・遊びの場では、身体を動かす遊具や折り紙、積み木など、自由に遊べる空間を用意。
子どもたちは友だちと過ごす中で、失われた日常を取り戻し、心の安らぎやコミュニティの再生を経験します。
 
こうした体験を通して、被災地の子どもたちは、未来への夢を描く力を得ることができます。

すべての子どもたちが未来を描けるように

ピースワラベの活動は、災害で学びや遊びの機会を失った子どもたちへの支援だけではありません。

すべての子どもが安心して成長できる社会を目指し、さまざまな課題に取り組んでいます。

  1. 被災地の子ども支援

    地震や災害で学校や遊び場を失った子どもたちのために、学びや体験の場を提供しています。
    自由に遊び、挑戦できる時間を持つことで、ストレスを発散し、新しい興味や自信を育みます。

  2. 安心・安全の中で成長できるコミュニティ

    児童養護施設で暮らす子どもたちの多くは、教育格差が生まれやすい状況にあり、卒業後の選択肢も著しく限定されてしまうという現実があります。

    大学生ボランティアや社会人メンターが子どもたちに継続的に寄り添い、学習支援や相談に伴走します。安心できる関係の中で過ごすことが、挑戦への意欲や心の安定につながります。

  3. 学びと社会をつなぐ体験機会

    体験格差が生まれやすい児童養護施設や離島に暮らす子どもたちに、世界や地域の多様な人と触れ合い、新しいことに挑戦できる機会を提供します。

    ボランティア体験、海外への短期留学などを通じて、将来の夢や可能性に気づくきっかけをつくります。

ピースワラベは、被災地の子どもたちだけでなく、すべての子どもたちが学びと遊びを通じて未来への希望を描ける社会を目指して活動を続けています。

未来を支えるための支援が、まだ十分ではありません

能登半島地震の影響で、珠洲市では子どもたちが安心して遊べる場所が大きく減っています。

「外で遊ぶのが怖い」
「雨の日に遊べる場所がない」
といった声も上がっています。

仮設住宅の建設で活動スペースはさらに縮小し、保護者の不安も広がっています。
 

建物の復旧は進んでも、地域全体のつながりや子どもたちの健やかな成長を支える環境は、まだ十分とは言えません。

ピースワラベは、子どもたちが安心して遊び、学び、育つことができる珠洲の未来をつくるため、皆さまの支援を必要としています。

珠洲で子どもたちが笑顔で過ごし、その笑顔がまちの希望へとつながる――

そんな未来を一緒に実現していくために、ピースワラベはこれからも「学び」と「遊び」の場を届けていきます。

30秒で終わる「ピースワラベ」の活動に関するアンケートに答えて、無料でできる支援に参加しよう!

地震の影響で、遊び場や学びの機会を失った子どもたちも少なくありません。

安心して遊び、挑戦できる環境に出会うことは、子どもたちが「自分の可能性や未来を信じる力」を育む第一歩になります。

ピースワラベは、「学び」と「遊び」の体験を通して、子どもたちが未来に希望を持てるよう支える活動を行っています。

 

そして今、そんなピースワラベの活動を“あなたの30秒”で応援することができます。
それは、ピースワラベの活動に関する3問のアンケートに答えるだけ。
 

今なら、30秒で終わる3問のアンケートに答えていただくだけで、10円の支援金をピースワラベさんに届けることができます
 
支援にかかる費用は、サポーター企業であるgooddo(※)が負担するため、あなたには一切費用はかからず個人情報なども必要ありません!

※gooddo株式会社は、株式会社セプテーニ・ホールディングス(東京証券取引所 スタンダード市場)のグループ会社

 

▼「ピースワラベ」広報担当 野田悠吏 さんから頂いたメッセージ

災害で遊び場や学びの場を失った子どもたちにとって、「安心して挑戦できる時間」を持つことは簡単ではありません。

だからこそ、学びや遊びの場を提供してくれる存在が、とても大切です。

ピースワラベは、被災地の子どもたちに、安心して遊び、学べる環境を届けています。
そこでの体験を通して、子どもたちは「自分にもできることがある」と感じ、未来に希望を持つ力を育んでいます。

それでも、まだ支援が届いていない子どもたちは多くいます。
あなたの関心が、その子たちに届く支援の第一歩になります。
今、30秒だけ時間をいただけませんか?ピースワラベの活動に関する3問のアンケートに答えるだけで、子どもたちに“学びと遊びの機会”を届ける支援が始まります。
どうか、被災地の子どもたちの未来に希望の灯をともす活動に、あなたの力を貸していただけませんか?

 
ここまで読んで頂きありがとうございました。
 
「遊びや学びの場を失った子どもたちの力になりたい!」
「被災地の子どもたちが安心して挑戦できる場所を届けたい」
「子どもたちが未来に希望を持てる環境を作りたい」
 
このように思われた方は、ぜひアンケートに回答して無料支援に参加してみませんか?
 
あなたのご支援が、被災地の子どもたちの未来を変える力となります。
 

 

※画像は本文エピソードに出てくる本人とは関係ありません。
※本エピソードは複数の事例をもとに再構成しております。
情報提供:認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパン