戦争がもたらす『心の置き去り』命は守れても、孤独は消えない

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ロシアによるウクライナ軍事侵攻から、すでに3年半以上が経ちました。

これは、第二次世界大戦後、最悪とも言われる人道危機です。
 
日本にいる私たちは、ウクライナのニュースに触れる機会が減り、日常が戻ったかのように感じているかもしれません。

しかし現地では今も、ほぼ毎日のように激しい攻撃が続いています。

毎月、数百人もの命が奪われ、人々は傷つき続けているのです。
 

ウクライナの首都・キーウ中心部には、前線で破壊されたロシア軍の戦車や装甲車が並べられ、異様な光景が広がっています。

忘れ去られようとしている、あの日々の現実

2022年2月24日。
その日、平穏な日常は突然の爆音と閃光によって砕け散りました。

都市に降り注ぐ砲撃。
瞬く間に炎上する家々。

熱波と轟音に襲われ、住む場所と安全を一瞬で失った家族もいました。

破壊された家屋の残骸や、焦げつく匂いが、かつてそこにあった暮らしを物語っています。

戦火が広がる地域では、さらに想像を絶する暴力が蔓延しました。

ロシア軍の占領下となった村では略奪が横行し、何の罪もない市民が何人も命を落としています。

平和だったはずの場所は、一瞬にして暴力と絶望に支配される地へと変わったのです。
 

迫りくる攻撃から逃れるため、多くの人々は故郷を後にしました。

リュックひとつに着替えと最低限の食料を詰め込み、満員の列車に乗り込む人々。

そこには、幼い子どもを抱きしめ、不安に怯える母親たちの姿がありました。

ウクライナでは、人口の約4分の1にあたる、1,000万人以上が住み慣れた故郷を追われています。

その半数以上は、国内避難民として、ウクライナ西部など比較的安全とされる地域での生活を余儀なくされているのです。

命は助かっても、心に残る拭い去れない孤独

戦争から逃げ、ようやく安心できる場所へたどり着いた人たち。

しかし、彼らの苦しみは、そこで終わりではありません。

命の危険が去っても、愛する家族との別れや、かけがえのない人を永遠に失う悲しみは、生きる喜びさえもかき消し、心に深い孤独感を刻みつけるのです。
 

戦争が始まった日、弟が行方不明に…

ウクライナ南東部ドネツク州の小さな町で暮らしていたドリーガさん。

彼女は母国での過酷な経験を語ります。
 

戦争が始まった日、弟は夕方に外出した後、行方不明になりました。1カ月後、川の中で遺体が見つかりました。誰の犯行かは分かりませんが、6歳と3歳の子どもを残して彼は殺されたのです」

このように殺害された犠牲者は少なくないといいます。

「弟はどこにいるのか、無事なのか」 来る日も来る日も、祈るような思いで消息を待ち続けた、長く苦しい1カ月間だったのではないでしょうか。
 

例えば、携帯電話が鳴るたび、「もしかしたら」という期待と、「まさか」という恐怖が入り混じる。

そんな張り詰めた時間が、彼女の心をどれほどすり減らしたことでしょう。

残された6歳と3歳の幼い子どもたちに、父の死をどう伝えればいいのか。

たったひとつの命が理不尽な暴力によって奪われた重みと、遺された家族が背負う悲しみの深さは、計り知れません。

深い悲しみと無力感の中、自身も避難民であるドリーガさんは、避難先のモルドバで自らNGOを設立して、オンラインで国内避難民支援などを続けています。

「今までの経験を生かして、モルドバの子どもたちの遊び場整備のプロジェクトにも携わっています」。
 

「明日、私の夫は35回目の誕生日を迎えるはずだったんです」

もう彼はいませんけれど……」ぽつりとつぶやいたのは、29歳のカテリーナさん。

東部ハルキウ州から4人の子どもと義母を連れて避難してきました。

カテリーナさんたちが出発した3日後、夫のニコライさんもバスで避難してくるはずでした。
 

ところが、ニコライさんはロシア軍に撃たれ、帰らぬ人となりました。

長男と次男は父親が亡くなったことを理解していますが、下の2人はまだ分かっていません。どう説明したらよいものか…」

そう話すカテリーナさんの横で無邪気にはしゃぐ末っ子のエマちゃんは、取材当時、3歳の誕生日を迎えたばかりでした。

そのことを思うと、この家族に押し付けられた悲劇のあまりの重さに、言葉を失います。
 

平和だった日々が突如として奪われ、ニコライさんの無念は、どれほどのものだったでしょうか。

そして、残された家族は、深い悲しみと、夫がいないというぽっかりと空いた心の穴の中で、どう未来を描けばよいのか模索し続けていかなければなりません。

そして、多くの女性たちが夫や息子を戦地に残し、未来の見えない不安と戦っています。

戦死者の遺影が教会の壁などに掲げられている

 

「クリスマス休暇に会いたかったのですが、残念ながら会えなくて……」

そう話してくれたのは、イリナ・ビラストゥさん。

2014年以降、ロシア軍との激しい戦闘が続くウクライナ東部ルガンスク州の出身です。
 

「2014年に始まった戦争に比べても、今回の戦争はひどいものです。最初は避難をためらっていましたが、攻撃が激化したため、先に避難していた親戚を頼って、15歳の息子と隣国のモルドバに避難して来ました

「息子は地域のスポーツクラブなどを通して、モルドバ人の友だちが多くできました」

モルドバの人はほとんどがロシア語を話すので、ロシア語を母語とする私にとってここは暮らしやすい環境なのです。今はここで図書館司書の職を得て働いていますし、地域の多くの住民や団体が私たちを助けてくれます。モルドバの人たちには本当に感謝しかありません」

新しい土地での生活に慣れてきたと話すイリナさんですが、彼女の心には寂しさと心配が募ります。

消防士の夫はウクライナ北東部のハルキウに残っていて、クリスマス休暇に会いたかったのですが、残念ながら会えなくて……
 

ウクライナ政府は、ロシアの軍事侵攻開始後、18歳〜60歳男性の出国を原則禁じていましたが、海外に逃れた家族に休暇で会う場合などには特例措置があるそうです。

遠く離れた地で、愛する人の無事を祈り続ける日々。
それは、私たちの想像を絶する心細さでしょう。
 

電話で声を聞けても、実際に会うことのできない寂しさが募ります。

次に電話がつながるまで、「無事でいてくれるだろうか」「もしかしたら、もう二度と声を聞けないかもしれない」。そんな緊迫した不安が、常に頭をよぎっているに違いありません。

クリスマスのような特別な日でさえ、家族が揃うことは叶わず、会いたい気持ちに胸が張り裂けそうな瞬間もあったはずです。

 

命の危険から逃れることができても、愛する人を失った痛み、離れ離れになった寂しさ、そしていつ終わるとも知れない戦争の中で、家族の安否を案じる苦しみ。

その孤独は、言葉では言い表せないほど重いものです。

心に開いた穴は、誰が埋めてくれるのでしょうか。

孤独な心に寄り添い、明日への希望を紡ぐ

この深い孤独に、私たちはどう向き合えばいいのだろうか?

その問いに、AAR Japan[難民を助ける会]は行動で応えています。
 

AAR Japan[難民を助ける会] は、国連に公認・登録された「日本生まれの国際NGO」です。

1979年に発足し、これまで65以上の国や地域において、「緊急支援」および「長期的な復旧・復興支援」の両面で難民を支援してきました。

深刻な状況が続くウクライナにおいても、AARは難民の人々の心に寄り添い、明日への希望を紡ぐための活動を続けています。

心の回復を支える「コミュニティハウス」

愛する人を失った心の傷や、終わりの見えない不安は、人々を深い孤独に追い込みます。

AARは、地雷や不発弾被害者を含む地域の人々の心身の回復を支援するために、現地協力団体「The Tenth of April」と協力し、2025年6月にはウクライナのミコライウ市内に「コミュニティハウス」を開きました。

この施設では、個別またはグループによる心理カウンセリングの提供に加え、公的な社会保障や保護サービスについての情報提供とアクセス支援や、不発弾や地雷に関する安全啓発活動を行っています。

コミュニティハウスは、車いすの方やお年寄りなど、助けが必要な方々も訪れやすいように設計されています。
 

AAR Japanと日本の外務省の支えを受け、「The Tenth of April」が運営するこの場所は、開所以来9月末までの3カ月間に456人もの人々が利用し、心のケアを受けています。

コミュニティハウスを利用したマリーナさんはこう話します。

「私はヘルソン州出身のウクライナ語教師です。自宅がロシア軍のミサイル攻撃を受け、やむなく故郷を離れミコライウ市に避難しました。戦争のトラウマに悩まされていましたが、AARが開設したコミュニティハウスで心理カウンセリングを受けるようになり、少しずつ立ち直ることができています。最近では、自ら地域のボランティアとして支援活動に参加しました。AARの取り組みにより、地域の人々の生活に変化が生まれていると感じています」。

子どもたちの笑顔を守る「チャイルド・フレンドリー・スペース」

ウクライナ国外へ避難した人々への支援も欠かせません。

隣国モルドバの北部ファレシュティでは、多くのウクライナ難民が暮らしており、彼女たちは提供された家やアパートで生活し、少しずつ現地のコミュニティに溶け込もうとしています。

難民の多くを占める女性と子どもたちは、それぞれが抱える事情の中で、この街に散らばって生活を送っています。

AAR Japanは、そうしたウクライナ難民の子どもたちが安心できる場所として、2022年から現地の人たちと協力し、「チャイルド・フレンドリー・スペース(CFS)」を運営。

ウクライナ難民の親子が集まり、地元の子どもたちと一緒に、イベントや図画工作などの活動を楽しみました。

子どもたちが遊びを通じて心を癒やし、笑顔を取り戻せるよう支えました。
 

また、AAR Japanでは、心のケアや子どもたちの居場所づくりだけでなく、緊急物資支援から安全対策まで、命と暮らしを守るための様々な支援も行っています。

  1. 緊急物資の支援(2022年〜2023年)

    戦争が始まってすぐの時期には、ポーランドの修道会と協力し、食料や薬、衛生用品、子ども服などをウクライナに運び、避難している人々へ届けました。

  2. 地雷や不発弾対策

    ウクライナでは、以前から地雷や不発弾による被害が多く報告されていました。今回の軍事行動で、ロシア軍が道沿いや畑に地雷を埋めたことで、さらに多くの人が危険にさらされています。

    AAR Japanは、地雷を取り除く専門の団体と協力し、安全な生活を取り戻すための活動を行っています。

  3. 障がいのある方やお年寄りへの支援

    困難な状況で最も苦しむのは、元々社会的な支援を必要としている方々です。

    AAR Japanは、ウクライナ国内にとどまる障がいのある方やお年寄りの医療ニーズに対し、一人ひとりに合わせた支援を提供しています。

戦火の中で、人々が「置き去りにされた孤独」にさいなまれることのないよう、AAR Japanは現地パートナー団体と手を取り合い、支援を必要とする人々の声に耳を傾け、きめ細やかなサポートを届け続けています。

ウクライナの人々が、いつか心からの安らぎを取り戻し、家族と共に新たな未来を築ける日が来るまで、私たちの支援は終わりません。

30秒で終わる「AAR Japan」の活動に関するアンケートに答えて、無料でできる支援に参加しよう!

ウクライナと同様、「家族や自分の命を守るためには、難民になるしかなかった」そんな方が、世界には大勢います。
 

自分の意志ではなく故郷から離れて暮らさなければならない人々が、ひとりでも多く、1日でも早く安心して暮らせるよう、将来に希望をもって生きていけるよう様々な支援をしている特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)さん。
 

このような活動を応援することが、あなたにもすぐにできます。

今なら、30秒で終わる3問のアンケートに答えていただくだけで、10円の支援金をAAR Japanさんに届けることができます。

支援にかかる費用は、サポーター企業であるgooddo(※)が負担するため、あなたには一切費用はかからず個人情報なども必要ありません!

※gooddo株式会社は、株式会社セプテーニ・ホールディングス(東京証券取引所JASDAQ市場上場)のグループ会社

▼「AAR Japan[難民を助ける会]」事務局長古川さんから頂いたメッセージ

「目の前に困難に直面している人がいる。手を差し伸べるのに理由はいらない」。そんな信念を持って活動を続けてきました。心身ともに深い傷を負った方々が、新しい人生に向かって歩み始めるまで、これからも支えていきます。

皆さんのアンケートへの回答が、難民たちの未来につながります。
質問はたったの3問です。

ぜひアンケートにご協力いただき、無料支援に参加していただけると嬉しいです!

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
最後に、AAR Japanが実際に支援した方からのメッセージをご覧ください。
 

「もし、自分が難民になったらと考えると、今自分にできる支援をしたい」
 
「難民キャンプや難民居住地で暮らす人々が少しでも安心できるよう応援したい」
 
ぜひ、難民として暮らす人々のために、あなたのお時間を少し頂けませんか?

※情報提供:※情報提供:特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)