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「夜はほとんどの時間、障がいのある息子を肩に担いで過ごします」
そう話すのは、紛争により避難を余儀なくされたスーダン国内避難民のルダさん(40歳)。
彼女の夜は、私たちが想像する「睡眠」とは違うものです。
ルダさん家族が暮らすのは、吹きさらしの屋外です。
もちろんベッドもありません。
しかし、脳の病気で麻痺がある息子さんは、硬い地面で横になることができません。
かつては当たり前だった「夜はベッドでゆっくり休む」という日常。
それが、突然の紛争によって奪われました。
北東アフリカにあるスーダンでは今、激しい戦闘により、国民の4人に1人が家を追われるという、世界最大級の人道危機が起きています。
ルダさんもまた、その過酷な状況に直面する一人なのです。

AAR Japan[難民を助ける会]のスーダン事務所の現在の様子。紛争勃発後から職員は事務所に戻れていない
腕に食い込むわが子の重み。15キロを歩いた先で待っていた絶望
紛争が始まった当初、ルダさんが暮らす首都ハルツームまでは戦闘が及んでいませんでした。
そのため、ルダさんは「いつか紛争が止むこと」を願い、家の中に留まろうとしていました。
避難費用の工面が難しかったこともありますが、最も大きな理由は、麻痺を患う息子さんの治療をハルツームで受け続けていたことでした。
夫を亡くしているルダさんは、女手一つで7人の子どもを育てていました。
その中には、障がいのある子どもが2人います。
「この子たちを連れて、一体どうやって避難したらいいのか……」
彼女が抱えていた不安と葛藤は、計り知れないものだったに違いありません。

ハルツーム国際空港付近から立ち上る黒煙
しかし、死の危険がすぐそばまで迫ったとき、彼女は決断します。
この紛争で、すでに多くの親戚を亡くしていました。
次は自分たちかもしれない。
その恐怖が現実のものとなったとき、彼女は家族の命を守るために避難することを決めました。
「障がいのある2人の子のうち、私が息子を抱き、長女にはもう一人の娘を抱かせました」
逃げるための車も、頼れる移動手段もありません。
スーダンは一年を通じて気温が高く、夏場には40度を超えることもある過酷な気候です。
そんな中、障がいのある我が子を腕に抱えたまま、15キロもの道のりをただひたすらに歩き続けました。
いつどこから弾丸が飛んでくるかわからない恐怖。
そして、腕に食い込む我が子の重み。
その一歩一歩は、どれほど険しいものだったでしょうか。
道中、偶然出会った慈善家の車に乗せてもらい、ようやくジャジーラ州の避難民センターに辿り着くことができました。

しかし、安心したのも束の間。
その地にも戦闘が迫り、彼女たちは再び避難を余儀なくされたのです。
わが子を担いで明かす夜。過酷すぎる避難所のリアル
二度目の避難で命からがら辿り着いたのは、カッサラ州の避難所。
しかし、そこは決して安息の地ではありませんでした。
到着が遅れたルダさん一家に割り当てられた部屋はなく、「傘」のような簡易的な屋根の下で暮らしています。
壁もプライバシーもなく、地面に直接横たわる日々。

「一番つらいのは、息子のためのマットレスがないことです」
息子さんは床で寝ることができないため、夜のほとんどの時間、ルダさんは彼を肩に担いで過ごしているのです。
スーダン国内には、障がいのある人々が集まる避難所もあります。
ですが、障がいに配慮された場所は限られており、例えば、床がでこぼこのレンガで、窓も板を打ち付けただけの簡素な造りの小学校が避難所として使われているケースもあります。
避難した人々は、床に布を敷いたり、ベンチを並べてベッド代わりにして寝ています。
ベッドやマットレス、蚊帳、粉ミルク、食料といった基本的なものさえ不足している状況です。

ただでさえ厳しい生活環境の紛争下で、障がいのある人々、そしてその家族にとっての困難は計り知れないものです。
また、息子さんは常に薬を必要としていますが、薬が手に入らなかったり、買うお金がなかったりすることも珍しくありません。
体調管理に欠かせない栄養のある食事も、今の状況では選ぶことすら叶わないのです。
「あなたは一人じゃない」日本から届いた、明日を生きる活力
そんな過酷な状況にあるルダさんのもとに、AAR Japan[難民を助ける会]から食料や生活必需品の支援パッケージが届きました。

AARのスーダン紛争緊急支援での物資配付の様子
「まだ、誰かが自分たちのことを気にかけてくれている。そう思うだけで、心が軽くなりました」
ルダさんに届いたのは、単なる物資だけではありませんでした。
それは、孤独な闘いを続けていた彼女への「あなたは一人ではない」という希望のメッセージだったのです。
食料の種類が増えたことで、子どもたちの食事にも彩りが戻りました。
「支援のおかげで、食べたいときに、食べられるようになりました」
かつては当たり前だったこのささやかな幸せが、今のルダさん家族にとっては、明日を生きるための最大のエネルギーとなっています。
また、今回の支援は、避難生活の中で後回しにされがちな「女性の尊厳」も支えました。

AARのスーダン紛争緊急支援での物資配付の様子
ルダさんには生理用品が必要な二人の娘さんがいますが、これまでは買うお金がなく、苦労をしてきました。
今回、日用品の支援物資の中に生理用品が含まれていたことに、彼女たちは深く安堵していました。
「命さえあれば取り戻せる」すべてを失った母が誓う再出発
ルダさんには、今の苦境を乗り越えた先に描いている夢があります。
「仕事の訓練を受けて、自分の力で家族を支えられるようになりたい」
彼女は、決して悲劇のヒロインではありません。
過酷な状況下でも、愛する家族のために、前を向こうとしています。

「自分と、大切な家族が安全でさえあれば、新しい人生を築き直すことができます。家も、思い出も、収入も、これまで手にしていた美しいものすべてを失うことは、本当につらく、大きなショックです。けれど、命さえあれば、すべてはまた取り戻せるはず。この戦争で亡くなった親戚がたくさんいます。今私が一番に願っているのは、この紛争が止むことです」
けれど、その「自立」への一歩を踏み出すためには、まず今日を生き延び、子どもたちの健康を守るための、最低限の支えが必要です。
世界で起きている紛争を、一人で止めることはできません。
でも、ルダさんのような母親の肩に重くのしかかる負担を、ほんの少しだけ一緒に支えることはできるはずです。
見過ごされるスーダンの危機:未来を守るAAR Japan
AAR Japanは、紛争や災害、あるいは障がいによって困難な立場にある人々を支援する、日本生まれの国際NGOです。
国連に公認・登録され、1979年の発足以来、これまで65以上の国や地域で活動を続けてきました。

ケニアで食料を配付するAARスタッフ
深刻な状況が続くスーダンでは、国民のほぼ全員が支援を必要としているにもかかわらず、その人道危機は国際社会から十分な注目を集めているとは言えません。
AAR Japanは、戦火の中で命をつなぎ、未来への希望を見失わないよう、現地スタッフと協力し、支援を必要とする人々の声に耳を傾け、きめ細やかなサポートを届け続けています。
食料などを受け取ったスーダンの人々は、遠い日本からの支援に深く感謝しています。
「日本は外交的にも地理的にも遠い国なのに、こうやって支援を届けてくれて本当にありがとう」
ルダさんのような人々が、いつか心からの安らぎを取り戻し、家族と共に新たな未来を築ける日が来るまで、AARのスーダンにおける支援は終わりません。
30秒で終わる「AAR Japan」の活動に関するアンケートに答えて、無料でできる支援に参加しよう!

スーダンと同様、「家族や自分の命を守るためには、難民になるしかなかった」そんな人々が、世界には大勢います。
自分の意志ではなく故郷から離れて暮らさなければならない人々が、ひとりでも多く、1日でも早く安心して暮らせるよう、将来に希望をもって生きていけるよう様々な支援をしている特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)さん。
このような活動を応援することが、あなたにもすぐにできます。
それは、AAR Japanの活動に関する3問のアンケートに回答するだけ。
今なら、30秒で終わる3問のアンケートに答えていただくだけで、10円の支援金をAAR Japanさんに届けることができます。
支援にかかる費用は、サポーター企業であるgooddo(※)が負担するため、あなたには一切費用はかからず個人情報なども必要ありません!
※gooddo株式会社は、株式会社セプテーニ・ホールディングス(東京証券取引所JASDAQ市場上場)のグループ会社

「目の前に困難に直面している人がいる。手を差し伸べるのに理由はいらない」。そんな信念を持って活動を続けてきました。
心身ともに深い傷を負った方々が、新しい人生に向かって歩み始めるまで、これからも支えていきます。
皆さんのアンケートへの回答が、難民たちの未来につながります。
質問はたったの3問です。
ぜひアンケートにご協力いただき、無料支援に参加していただけると嬉しいです!
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
「身体に障がいを抱える方が、戦火の中から避難する過酷さを少し想像できた」
「遠い国のことだけど、自分にも何かできることはないだろうか」
「難民キャンプや難民居住地で暮らす人々が少しでも安心できるよう応援したい」
このように思われた方は、ぜひアンケートに回答して無料支援に参加してみませんか?
あなたのご支援が、難民として暮らす人々の希望となります。