記事提供:ケノコト


みなさんは日常の中で、障害のある方々と接する機会はありますか?

障害者が社会の中で生きていくことを考えたときに、どうすれば障害のある方々がより暮らしやすくなるのでしょうか?

健常者と障害者。偏見や隔たりなく、お互いが学び、認め合い育てあえる社会が広がったら、きっと今以上にやさしい未来になるはず。


「療育」と「両育」
「療育」とは、知的・発達障害児が、医療的な配慮のもと学ぶことにより成長し、社会的に自立することを目指して行われる後押しや支援を表す言葉です。

造語である「両育」という言葉は、子供だけが成長するのではなく、関わる人も、真剣に子供と向き合い、試行錯誤することで結果として学び、成長できるという概念を表す言葉です。

心と心のコミュニケーション
現代は「心の時代」といわれ、核家族化や近所つきあいの希薄化が進む中で、コミュニケーションに悩む人が増えています。

知的・発達障害者と、接している施設の支援員や保護者とのコミュニケーションを街中で見たことはあるでしょうか。

彼らはコミュニケーションをとるために目をきちんと見て会話することを心がけています。そして彼ら双方に、のびのびとした笑顔があふれていることが印象的ではありませんか?

知的・発達障害者の中には自分の思いを表現することがうまくできなかったり、疑心感が強かったりするため、信頼関係を築くことがとても大切になってきます。

信頼関係を構築するプロセスは、コミュニケーションという本質を感じ、他者との関係を築くチカラをつけるきっかけとなるのです。



知的・発達障害児との関わりは、大人にも成長の機会を与えてくれる
知的・発達障害児と関わる人がともに学び合う“両育”のある社会を目指し、「放課後の福祉施設とそこへ通う子供たちの支援」と「福祉現場の魅力を通して福祉現場と社会を繋ぐ」をテーマに活動しているNPO法人両育わーるど。

知的・発達障害児には、成長の可能性が多いにあることに気づかされるものの、その育成現場は、人材採用・育成や運営状況が非常に厳しい状況にありました。

しかし、彼らとの関わりは、
関わる側にも学びや成長の機会を与えてくれる。“子ども達とその関わり手”と“社会”とを繋げたい
という思いから、活動をしています。

障害があっても、障害がなくても、誰もが自分らしく
とある知的・発達障害児を持つ母親のおはなしです。

「障害児の親っていうと悲惨な人生を思い浮かべる人もいます。でもわたしはわたしで、自分の楽しみも捨てたくない。障害者を産んじゃったから、わたしこんなになっちゃった、っていう卑屈な考えは持ちたくはない。だから好きなことをやってます。我が人生悔いなしです。」

みなさんはどう感じますか?

「ああ、こういう子もいるんだな」

それは偏見でなく、違い。
十人十色だからみんな異なるのは当たり前。小さい頃から、障害のある子とない子が一緒になって育つことで、その人はそういう人なんだ、という認識が生まれます。

そういう子たちと一緒になることで、互いに気づき、学び成長していけることが一番自然で楽なのではないか、と話していました。



人々がお互いを認め、ともに学び、育ち合える社会の実現。

それはきっと、やさしくて温かい未来に違いありません。