記事提供: Letibee LIFE

Letibee LIFEとは?
Letibee LIFE は株式会社 Letibee が運営する、LGBT とアライアンスのための生活を豊かにするメディアサイトです。LGBTの認知を広げることを目的に、gooddoに記事を転載しています。

昨今、LGBTの認知が広がってきています。

この記事は、「LGBTとアライアンス(支援者)の生活を豊かにする」ことを目指すLetibee LIFEにて、ゲイ当事者の方である「こうじさん」が寄稿した記事です。

病気を宣告されたときにこうじさんが感じた想いとは・・・


HIVに感染してからの2~3ヶ月
HIV。性感染症(STD)の一種で、様々な教育や非営利団体などの尽力により、今や知らない人はいないくらい有名な疾病になりました。

ここでは、実際にHIVに感染したゲイの筆者が辿った日々をお伝えすることで、あなたがもしHIVに感染したらどのような日々を辿るのか、イメージする参考にして頂けたらと思います。


「結果をお知らせします。あなたは陽性です。」

私がHIVに感染したことが発覚したのは、2014年の4月頃です。

友人がHIV検査に行くというのを聞いて、行こう行こうと思いながらも、なんだかんだで行ったことのなかったHIV検査に私も行くことにしました。

私が行ったのは新宿駅にとても近い東京都南新宿検査・相談室です。

基本HIV検査は予約が面倒くさいのですが、この東京都南新宿検査・相談室は混雑状況をWEB上で見て、WEB予約ができて簡単な上、新宿駅から徒歩3分程度と近いので、面倒くさがりやの私もすんなり行くことができました。

そこで血液を採取され、後日診断結果を聞くために再訪する日を決定し、すんなり終わりました。

すべて匿名性ですし、特に緊張したり怖いと思うことはありませんでした。歯医者に行くような感覚ですね。

診断結果を聞くために再訪をしたあの日。

多分あの日は、私は死ぬまで一生忘れられません。

私はずっとセックスの時には必ずコンドームを使っていました。

ただ、ついつい新宿二丁目などでとても酔っ払ってしまった時に、気づいたら朝方ベッドで寝ていて、かつ男が寝ていて「え、お前だれ!? 」ということがあったりしていたので、「もしかしたらコンドームをしないでセックスをしてしまったかもしれない」という時が、何回かありました。

今考えれば自分のリスク管理に問題があったのですが、若かったのもあって、今が楽しい時期なんだし、いいやと思っていました。

保健所に行った時も「まぁー普段必ずセーフセックスだし、数回ぐらいの生なら陰性だろ」と思っていました。

病室に通されて、医者に

「あなたの検査番号(匿名性を保つため番号が与えられます)は○○○○ですね?」と聞かれました。

私は「はい」と答えました。

ここまでは当然のプロセスでした。

医者は、こう聞いてきたのです。

「もう一度確認します。あなたの検査番号は○○○○です。間違いないですね?」


変だなぁと思いました。なんでそんなに執拗に聞く?もしや陽性だった…?と思いながら

「はい。」と答えました。


医者「結果をお知らせします。あなたは陽性です。」




精神が肉体から抜けていく感覚

「え…?」


その瞬間は一生忘れません。

自分の精神が、スーッと上に登っていくような、身体から魂が抜けていくような感覚を感じました。

なんというか、5年間くらい東大合格のために勉強した浪人生がその集大成として臨んだ東大の入学試験の合格発表で、自分の名前がないことを発見した瞬間みたいな感じですかね。

周りの声が遠のいていって、世界が自分1人になってしまって、呆然になって、精神が身体から抜けていくような感覚です。

「まだ俺20代なのに」「これからなのに」「親になんて言えばいいんだろう」「一生治らない」そういうことだけが頭の中でいっぱいで、もうとにかく呆然となりました。頭の中真っ白です。

医者が何かを言っている。

けど私には、耳には入ってくるけど聞こえないような状態でした。でも、そンな中で、1つのフレーズが頭の中に出てきました。

「….ねば….きねば….いきねば…….生きねば」


今考えれば「そんなんで死なないよ」とツッコミを入れたい所ですが、その時は、

「生きねば。生きるために今、自分は何をするべきだ。情報だ。

自分の現在の身体の状況を理解し、HIVがどういう疾病なのか、今から自分はどうなるのか、何をするべきなのか、正確な情報を集めることで正確な判断ができ、それによって生きることができる。

ということは今やるべきことは医者の説明を正確に理解し、HIVという病気と自分の身体状況を理解することだ。あいつの話を聞くんだ!ショックを受けるのは後回しだ!今話してるあいつ言っていることを理解することにとにかく集中するんだ!」

と考えました。

なんとか精神が肉体から抜けていくのを無理やり止めました。

そして、医者に「私がどういう身体の状況なのか、HIVはどういう疾病なのか、そして自分はこれからどうなるのかを説明してください。」と伝えました。

今考えると、普段使われない生存本能が最大限に開花した瞬間でした。


「陽性と言われた人は、普通泣き出す」

医者からの説明を受け、わからない所は「ここが分かりません。もう一度説明してください」などといってとにかく理解に努めました。

その場では、HIVが陽性であることは100%ではないため再検査を大きな病院でやる必要があること、自分の免疫力はCD4という数値によって表され、それが200を下回っている状態をAIDSといいAIDSだとすると免疫力が非常に弱まっていて危険な状態であること。

自分のCD4は現時点ではわからないこと、これから障害者手帳などいろいろな書類を作らないといけないこと。

いろんなことを聞いて、その時点ではすべてとはいわずとも、だいたいは理解することができました。

その後カウンセリングルームに移されましたが、カウンセラーが

「陽性申告を受けて、あなたみたいに冷静だった人は初めて見た。普通、泣き出したりするから」

と言っていました。

カウンセラーにいろいろとHIV関係の書類を受け取り(HIVに関する本やパンフレットなどは、イラストを交えていてわかりやすく、かなりしっかりしています。できるだけ受け取った方が良いです。)、保健所を出て、真っ先に大病院の検査の予約をしました。

しかし、陽性申告を受けたあの時、泣かないでショックを心の中でスキップしたことを後から後悔することになりました。

あの時しっかり泣いていれば、その後の生活はもっと楽だったかもしれません。

生まれて初めて、精神病にかかったからです。


生まれて初めて精神病に

東京医科大学病院という西新宿にある大学病院で検査を受け、正式にHIV陽性だということがわかりました。

しかもCD4は200を切っていました。

つまり、AIDS状態でした。

もしかしたら保健所のミスかもしれない….そんな淡い期待を持っていましたが、一生治らない性感染症を患ってしまったという事実を大きな病院で、数値ともに提示されました。

頭では理解できました。

でも。

心が。

心がどうしてもついてこなかった。

「親はぼくがゲイだってことすら知らないのに。親には絶対言えない」

「まだ20代なのに。あと50年くらい、もう一生治らないんだ。もう絶対に後戻りできないんだ。」

「どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう。どうしたら…」

その後の2~3週間は、私の人生の中で最も辛かった地獄の日々でした。

どこかポケーっとしていて、頭に力が入りません。誰かが何かを言っていてもよく聞こえない。

そして、ある時から自分の視界に異変を感じました。

ちゃんと現実を見ているのに、視界がまるでテレビを見ているような感覚になったのです。

まるで自分はこの世界の別の、どこか他の所にいて、今見ている世界がテレビの中のような感覚です。

「なんだこれは!?テレビ!?」と思いました。夜はまったく一睡もできず、日中は身体が重すぎて、動くこともできません。

横になっているのに、身体中が痛くて、なぜか勝手に涙が出てきます。

どう考えてもおかしいと思い、インターネットで症状を調べて、精神的な病気の可能性があると思い、精神科を受診しました。

「離人症」と診断されました。非常に強いストレスを受けると発症するそうです。生まれて初めて精神病にかかりました。

精神病を飲んでなんとか楽になるも、薬の効果が切れると辛いので、また精神病を飲む。

そうしてなんとか、必死に生きていました。


まさに生き地獄だった「吸入」

HIVに感染しても、すぐに抗HIV薬は出してもらえません。

抗HIV薬は非常に高い薬で、たとえ3割負担であっても生活できなくなってしまう程の高い薬なので、障害者手帳を取得し、自立支援医療という医療制度を使わないといけません。

しかしその取得には時間がかかるのです。

それまでの間は、抗HIV薬を飲まない状態でありながら、AIDSによる病気を防がなければいけません。

その時に病院でやるのが「吸入」です。 吸入は、AIDSによる肺炎(カリニ肺炎もしくはニューモシスチス肺炎といいます)を起こすのを予防するため、肺炎予防の薬を肺に直接吸入するのです。

水蒸気を30分くらい吸い込む感じなのですが、その水蒸気には薬が含まれていて、それが本当に辛いのです。

咳き込んで、鼻水と涙を垂らしながら、「生きるために、やらなきゃいけないんだ」と信じてなんとかとにかく吸い込みます。

途中で「なんで自分ばっかりこうなるんだ」「ここまでして生きる意味なんてあるのか」「こんなふうになるなんて、自分の人生なんなんだ」なんて思ったりして、泣きそうになったりするのですが、泣いてしまうと吸入ができないのでグッとこらえます。

病院からの帰り道で、いつも泣いていました。

自立支援医療が適用されるようになって、抗HIV薬を飲み始めてやっと吸入を卒業することができた時は、本当に嬉しかったです。

東京医科大学病院の人たちもすごく喜んでくれて、「やったね!吸入はもう卒業だね!」と言ってくれてとても嬉しかったのを覚えています。

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