2015年11月10日

ワールド・ビジョン・ジャパンとは?
ワールド・ビジョンさんは、「すべての人々に何もかもはできなくとも、誰かに何かはできる」という思いをもとに設立され、現在約100ヵ国で活動する国際協力NGOです。チャイルド・スポンサーシップという、世界の貧しい子どもたちを世界中の人々が1対1で援助するプログラムで、多くの子どもたちの未来を変えています。

バングラデシュでは、790万人の子どもが、学校にも行けず明日を生きるために働いています。

冒頭の写真のモスミちゃんも、その中の1人。

毎日休みなくゴミ拾いをし、ゴミを売ったわずかなお金でその日の食べ物を買い、命を繋いでいます。

モスミちゃんの母は、モスミちゃんが生後2ヶ月の時にモスミちゃんをおいて家を出て、父は他の女性の元へ行き行方が分かりません。 現在、年老いた祖母と共に生活しており、モスミちゃんが家計を支えています。

モスミちゃんが暮らすエリアは、交通事故やセクシャルハラスメントが絶えず、とても危険です。

ゴミ山には鋭利なガラス・金属や有害物質がたくさん堆積されており、裸足で歩くにはとても危険で、傷口からの感染症により命を落とす子どもが絶えません。 しかし、モスミちゃんには、丈夫な靴を買うお金がありません。

このモスミちゃんに会うためにバングラデシュを訪れたワールド・ビジョン・ジャパンの堂道有香さんが、感じたこととは・・・


貧しいスラム街で暮らすモスミちゃん(10歳)との出会い

提供: ワールド・ビジョン・ジャパン

もう二度と会えないと分かっている「さようなら」は、死別の時のみだと思っていました。

地球の反対側に住んでいたとしても、旅費を貯めて時間を作り、会いに行こうと思えば会える。例え連絡手段がなかったとしても、探せば、会える。 そう、「生きていれば、また会える」。これは、お別れするときに生きている友を目の前に思う、あたりまえのことととらえていました。

2015年8月、照りつける太陽と叩きつける雨が交互に続くバングラデシュのスラム街で、「生きていれば、また会える」が嘘であることに気付きました。

貧しいスラム街で暮らすモスミちゃん(10歳)とミナちゃん(12歳)。途上国の子どもたちの厳しい現実を放映するためのテレビ撮影に、丸々3日間協力してくれました。何年分という量のゴミ山で、売れるものを裸足で探す2人。

ヘドロの不快な臭いは、身体の芯を腐らせると思わせるほど強烈で、私はとっさにマスクをしてしまいました。臭いだけで身の危険を感じたのだと思います。しかし、「自分さえ良ければいいのか」という想いから、マスクは数分後にはずし、捨てました。

2人の家を訪れました。


強烈なヘドロの臭いの中、裸足で売れるものを探す2人

提供: ワールド・ビジョン・ジャパン

家の中がゴミで埋め尽くされている、というより、家がゴミで成り立っている、というほど家の中は混沌とし、どれが使えるもので、どれが使えないものなのかまったく見分けがつかないほどでした。

数分その家の中で立っていただけで汗が滝のように流れ、頻繁に視界に飛び込んでくるゴキブリやネズミが私の思考を鈍らせます。脱水の危険を感じ、持ち合わせていた経口補水液を撮影チームで分け合いました。

撮影の合間の休憩時間、リズム遊びをしたり、手をつないで走ったり、シャボン玉をしたり、ここぞとばかりに共に笑い楽しみました。手の感触、キラキラと光る眼、洋服の柄や質、足の爪の形の細部まで、帰国した今でも鮮明に覚えています。


生きたいと願って毎日懸命に働いている小さな友に対して「死」を感じる私はいったい何者なのだろう

提供: ワールド・ビジョン・ジャパン

すべての撮影を終え、お別れの時が迫る3日目。

小さな友を目の前に、「もう二度と会えないであろう」という、確信に近い想いに涙があふれます。それは、まさに、「死別」に酷似した感覚でした。

生きたいと願って毎日懸命に働いている小さな友に対して「死」を感じる私はいったい何者でしょうか。そして「生きていれば、また会える」初めてこのフレーズに嘘を感じてしまいました。目にした彼女たちの生きる環境が劣悪すぎて「生きていれば」の「れば」の確率を非常に低くとらえてしまったのかもしれません。消極的なフレーズにしか聞こえませんでした。

死別に酷似した「さようなら」。これが、最初で最後であることを願い、今日も子どもたちの健やかな成長のために全力を尽くします。

クリスマスまでに3000人のチャイルド・スポンサーを募集する「この子を救う。未来を救う。」キャンペーンを実施しています

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