記事提供:認定NPO法人カタリバ
認定NPO法人カタリバは、東日本大震災後、「被災した子どもの復興を担うリーダーを育てたい」という想いから宮城県・岩手県に被災地の放課後学校「コラボ・スクール」を設立し、子どもたちが安心して学べる場をつくることで、これからの東北の子どもたちを対象に学習支援や心のケアを行っています。

この記事は、元女川中学校教員であり、コラボ・スクール女川向学館のメンバーである佐藤敏郎先生が、教育現場を見てきた先生として、被災地の教育現場の現状を描く「被災地の教育現場」連載シリーズの1つです。



佐藤先生は、東日本大震災により、次女(当時12歳)を亡くされています。
やりきれない経験を持ちながら、震災現場の生徒を懸命に導く佐藤氏の心の声を、この記事より感じてください。

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先日、ポール・マッカートニーが来日し、ビートルズファンを大喜びさせた。72歳だという。 彼には借りがある。震災直後の春休みのことだ。

3.11は卒業式の前の日で、当然、式は延期になった。

一週間後の19日に挙行した卒業証書授与式。会場は図書室、服装は着の身着のまま、参列できた卒業生は92名中74名だった。この日に欠席の生徒は、登校できる日に、随時証書の授与を行った。

生徒会長は、何度も推敲し練習した答辞を読まず、原稿なしで想いを語った。最後に「これは全員が揃ったときに読みます」と力強く言って、開かないままの答辞を校長先生に渡した。転校あるいは一時的に遠方で避難生活を送らなければならない生徒が多数おり、たいへん辛い別れであった。合格した高校に進めない卒業生もいた。



私の次女も津波の犠牲になった。
小学6年生、18日に卒業式が控えていた。式ではピアノ伴奏をするんだと毎日練習していたっけ。
その日は火葬の日になった。そして、女川一中の卒業式は翌日行われた。

そんな春休み、女川一中は江島(女川の離島)の避難者及び他県からの支援チームの宿舎となり、常時10~20名の宿泊者がいた。生徒も数名宿泊しており、毎日のように続く余震と校舎の安全点検のため、一中と二中の職員も交代で宿泊した。(宿直は6月末まで継続)

家に帰れずに学校に泊まっていた一人の女子生徒が、廊下でピアノを弾いていた。
ビートルズの楽譜があったので「LET IT BE」をリクエストして弾いてもらった。ピアノが奏でるおなじみのメロディー。私は目を閉じた。

LET IT BE、LET IT BE…

苦しみ悩めるときは「なすがままに」と繰り返す曲だが、
このときはなぜか「受けとめろ」に聞こえた。

「受けとめろ、受けとめろ、受けとめろ…答えはそこに」

そうか!ポール、分かったぞ。

夜の廊下に響いたリフレインが今も耳に残っている

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東北の復興のため、あなたにできることは、なんでしょうか?

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