目の不自由な人たちのために都市をデザインすると、どんな街になるでしょう?
クリス・ダウニーは2008年に突然失明してしまった建築家です。
愛するサンフランシスコの街を、盲目になる前となった後で比較し、盲目の彼の生活を豊かにする思いやりあるデザインが、実際には、盲目であるなしにかかわらず、全ての人たちの生活をどのように良くするものであるかを教えてくれます。
盲目になった私にとって、オークランドという街がこれほど変わってしまうのかと驚きました。
見えている時は好きな街でした。何の問題もありませんでした。とっても素敵な街です。
しかし 目が不自由になったとたん ブロードウェイ沿いを歩いているだけで ひとブロック毎に こんな声をかけられます。
「幸運を祈ってるよ」
「頑張れよ 相棒」
「神のご加護がありますように」
目が見えていた時はこんなことはありませんでした (笑)
盲目になってからもサンフランシスコではこんなことはありません。
目の不自由な友達にはこういったことを嫌がる人がいます。私だけではありません。
身体的な障害や目が見えないということが、民族的・社会的・人種的・経済的な垣根を超えたものであることを表しています。
障害は平等な機会を提供するものなのです。誰でも歓迎します。
実際に 障害者のコミュニティでこんなことが言われているのを耳にしました。
人間には2つのタイプしかいない。
障害を持っている人たち、そして、まだ自身の障害を見つけていない人たちです。
新しい考え方ですが 私はなんだか美しい考え方だと思います。
なぜなら「自分と同じか、そうでないか」または 「健常者か障がい者か」と考えるより、ずっと包括的なものであり、人生の儚さをより正しく好ましく表しているものだからです。
障がいを持っている・いないに関わらず、誰にとっても使いやすいデザインを
Photo by http://www.morguefile.com/
今ユニバーサルデザインという考え方が、徐々に浸透してきています。
文化・言語・国籍の違い、老若男女、障害・能力の如何を問わずに利用することができる設計のことです。
例えば目の見えない人にとって地面の段差が危ないのと同様に、段差は子どもたちにとっても危険なものになります。
障がいを持っている・持っていないに関わらず、多くの人の生活を豊かにする思いやりあるデザインを作るということが、今後はより一層求められてくるのかもしれません。