家族と再会できるまでの、8年9か月…。
バングラデシュから日本へ逃れてきた難民、カビールさんを待っていた日本社会の現実とは?

<PR>

「お父さんは、日本で何でもできていいな」

電話先でうらやむ娘に、カビールさんは自分の置かれている状況を、打ち明けることはできませんでした。

「母国に残してきた家族を不安にさせたくない…。」
母国を追われ、日本へ逃れて難民となったカビールさん。

家族との電話代を捻出するためには、食事代を浮かせるほか方法がない。。
日本で、そんな生活を強いられることになったのです。

母国ではびこるテロと汚職・・・。
ジャーナリストだったカビールさんを待っていた悲劇。


カビールさんは、母国であるバングラデシュで、当時多発していたテロと汚職をなくすため、ジャーナリストとして熱心に活動をしていました。
しかし、その活動が過激派グループとして、政府に目をつけられ、命を狙われるようになってしまったのです。

写真 母国のため、カビールさんは身を隠しながら、果敢に記事を書き続けました。

しかし、近しい仲間が暗殺され、彼にもいよいよ危険が迫ってきました。

カビールさんには、妻と3人の子どもたちがいて、家族のことは本当に心配でした。
でも…

「自分が殺されてしまっては、家族を守ることも、母国を変えることもできない。」

カビールさんは、バングラデシュからの出国を決め、難民を受け入れている国へ逃れる方法を探し始めました。

難民の受け入れ状況や、知人がいることからドイツへの出国が、カビールさんにとっては最も望ましいことでした。
しかし、ドイツを含む難民を多く受け入れている国々は、どこもビザの取得が難航…。

そうこうしている間に、カビールさんの身へ危険が差し迫っていました。

そんなとき、たまたま大きな国際会議が日本で開催され、ジャーナリストとして渡航できたカビールさんは、日本のビザを取得することができたのです。

「時間がない・・・」

カビールさんに、選択の余地はありませんでした。

母国を逃れ、たどり着いた日本。
日本で待っていた、厳しい現実とは?


やってきた日本。2005年のことでした。
難民の認定が厳しい国であることは、事前の調査で知っていたそう。

「でも、まさかこれほどとは・・・」

日本で待ち受けていたのは、カビールさんの想像をはるかに超えた、厳しい難民認定手続きと、生活でした。

難民認定を目指す中で、日本で難民を支援している、「認定NPO法人難民支援協会」と出会い、そのスタッフや連携する弁護士とともに、難民であることを証明するための膨大な資料を作成していきました。
写真 資料を積み重ねると、広辞苑をしのぐ厚さ。

しかもその資料は、すべて日本語で提出しなくてはなりません。

日本に初めてやってきて、日本語も分からないカビールさんだけでは、とても作成できるものではありませんでした。

なんとか資料を作成し、担当である「入国管理局」へ提出しても、いつ結果を言い渡されるかは分からない・・・。
先の見えないストレスと闘いながら、わずかな生活費で食いつなぐ日々だったそう。

日本語が分からず、40歳を過ぎたカビールさんの仕事探しは簡単ではありませんでした。
見つかる仕事は、工場での肉体労働など馴染みのないものばかりでした。

それでも、どんな仕事でも引き受け、自分の生活は切り詰めるだけ切り詰めました。
そして、わずかに浮いたお金を母国に残してきた家族を支えるため、送金していたのです。

そんな生活に4年耐え、2009年にようやく難民認定を手にしたのですが・・・。
喜びもつかの間、許可されるはずの家族の呼び寄せが理由も分からないまま却下されてしまったのです。

理由が明らかにされない以上、どうすれば良いのかさえも分からない。
申請が却下され続けるなか、さらに3年、4年と月日はたち、子どもたちは会えないままどんどん大きくなっていきました。



8年9か月かかって・・・。ようやく実現した家族との暮らし。


家族を呼び寄せることを拒否され続け、先が見えない毎日。
それでもカビールさんは、「何としてでも家族を呼び寄せる」という強い意志の下、関係者に働きかけることをやめませんでした。

そして、2014年6月。来日から8年9ヶ月が過ぎていました。
ついに家族の呼び寄せることが認められたのです!

長男と長女はすでにそれぞれの家庭があり、残念ながら日本で一緒に暮らすことはできませんでした。

しかし、妻のジョフラさんと次女のテレサちゃん(15)が東京にやってきました。

「早く日本語を話せるようになって、日本で勉強したい」というテレサちゃん。
「仕事はしたことがないけれど、挑戦してみたい」とジョフラさん。

離れて暮らした約9年の間に家族が失ったものは、私たちの想像に及ぶものではないでしょう。

この先、一緒に暮らしたとしても、取り戻せないものも多いかもしれない。。。

それでも、離れていながらお互いを信じ続け、数々の困難を乗り越えてきた一家が、力を合わせれば乗り越えられないことはない。

家族そろって、日本での生活を始めたカビールさん一家の後ろ姿には、そんな強い意志が感じられました。



「難民」は、日本から遠く離れた国の問題?
日本には関係ないのか?


「難民」と聞くと、自分とは関係がなく、どこか遠くの国で起こっている問題、そう感じる方も多いのではないでしょうか?

世界には、日本の人口の約半数に当たる6,850万人(※)が故郷を追われています。
シリアや南スーダンなど新たな危機の頻発や人道問題の長期化により、近年、難民となる人は増えています。
(※出典:UNHCR Global Trends 2017)

では、日本には、カビールさんのような難民がどれくらい来日しているのでしょう?

2017年、日本では19,628人が難民申請を行いました。



しかし、同年に難民認定をされた数は、わずか20人・・・。
認定率にすると、0.2%しか認められていないのです。

これは先進国の中でも、圧倒的に最低レベルです。


(※出典:UNHCR Global Trends 2017)

なぜ、先進諸国と比較しても、ここまで低い認定率なのでしょうか?

国際基準と比較すると、だれが「難民」かを決める認定基準が厳しいことが、理由のひとつです。

1951年に成立した難民条約における難民の定義 は、東西冷戦中の『政治亡命者』を念頭に作られたものでしたが、現在は、紛争による難民が大半であるなど、難民を生み出す迫害の形態は時代によって変化しています。

このような変化に対して、国連や日本以外の各国は、条約の解釈を広げる努力をしてきましたが、法務省は条約を極めて狭く解釈し、難民を『難民条約上の難民』であると認めていません。

また、難民認定審査での「公平性」や「透明性」が確保されていないことも、認定率が低い理由としてあげられます。

カビールさんの例でもあった、広辞苑ほどの膨大な資料作成、そのすべてを日本語で作成すること・・・。
これが、難民にとって「公平」な手続きといえるでしょうか?

難民不認定とされた場合も、国が下した判断根拠は十分に開示されないため、その結果に対して反証するチャンスもありません。

もし彼らが、母国に強制送還されると、収監や拷問、そして命の危険にさらされる恐れすらあるにもかかわらず、このような問題を解決できないため、難民認定される数は横ばいのままなのです。

カビールさんをサポートした、「難民支援協会」って?


「難民支援協会」は、「難民が、新たな土地で安心して暮らせるように支え、ともに生きられる社会を実現する」というミッションを掲げ、日本国内の難民支援に特化した「認定NPO法人」です。

写真 約20年前の1999年から活動を開始後、累計6,000人以上、100か国以上の方々をサポートしています。
難民保護の専門集団として、難民一人ひとりの来日直後から自立に至るまでの道のりに寄り添ってきました。

日本の難民支援第一人者として認められ、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のパートナー団体として、活動を続けています。

毎日15人、年間700人以上。(※のべ人数ではなく、実数)
東京都千代田区のオフィスにやってくる、難民の厳しい現実


難民支援協会の事務所は、東京都千代田区。
オフィスには、2つの入り口があります。

1つは、事務所で働くスタッフや、ともに協力しながら働く外部の関係者用の入り口。
もう1つは、相談に訪れる難民の方専用の入り口で、1日約15人が訪れるそう。
(※難民支援協会調べ)

日本に知り合いはおらず、頼れる先がない。
母国から持ってきたお金も、そこを尽きてしまった。
働くことを認められていない。

そんな苦しさを抱え、路上生活を余儀なくされる方も少なくありません。

「日本にたどり着けば、安全だと思っていた・・・」

故郷である母国を追われ、やっとの思いで逃れてきた日本で、そんな気持ちを持ちながら、路上生活をしている人たちがいる。

難民や、移民の問題は簡単には解決できない難しい問題かもしれません。
しかし、同じ日本で暮らている私たちに、何か少しでもできることはないのでしょうか?

1日50円(月額1,500円)からできる支援
「難民スペシャルサポーター」とは


難民支援協会の活動は、民間の方からの支援があってはじめて、可能になっています。
一般寄付のうち、7割は個人の方からの寄付で成り立っているそう。

特に、継続的に支援できる「難民スペシャルサポーター」の数は、約700人まで増えており、とても大きな力となっています。

しかし一方で、難民認定制度は、さらに厳しく見直されており、日本に逃れてきた難民を取り巻く環境は、ますます厳しいものとなっています。
そのため、働くことが認められない期間が長期化し、公的支援も受けられず、民間の支援がなければ生きていけない人たちが増えており、サポートするために必要な資金は増え続けているのです。

そんな難民をサポートしていくために、少しの力がたくさん集まる必要があります。
具体的には、このような形で難民の方への支援に代わります。



とはいえ、「寄付をしても、何に使われているのか実感が持てない」という方もいらっしゃるのではないでしょうか?

「難民スペシャルサポーター」になると、年次報告書、最新のニュースレターや難民にまつわるパンフレット等の「入会キット」が、さらに毎月メールマガジンで、最新の成果やオンエア報告、支援を受けた難民の声などが送られてきます。

また、難民支援協会は東京都から認定された「認定NPO法人」です。
認定NPO法人への寄付は、税額控除の対象となり、約40%が所得税額より控除されます。

難民支援協会の活動に、多くの人々が賛同しています。


命の危機に直面している 難民の命と尊厳を守りたい
難民スペシャルサポーター  松元貴志さん
写真 以前勤めていた会社の同僚が、退職後にJARに勤めると聞いたことが、 難民支援協会(以下、JAR)との初めての接点でした。その後 JARについて調べ、命からがら 日本に逃れてきた人が、十分な支援を受けられずに困窮している事 実を知り、衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。日本に住む多くの人々は、私と同じように、日本に難民が逃れてきているということを知らないまま過ごしているのではないでしょうか。このままではいけない、すべての命は守られるべきであり、特に命の危機に直面している難民の命と尊厳を守りたい、そんな気持ちでJARを支援しています。

日本で暮らす 外国人として自分に できることから活動
難民スペシャルサポーター クリスチャン・トレイラさん
写真 アメリカ出身の私が日本で生活し始め、少なからず差別を経験し、居心地の悪さを感じました。同時に、差別によって日々悩まされている 難民の方々の事も考え、自分が出来ることを真剣に模索しました。 それがいまの活動につながっています。私が取り組んでいることは、最初の小さな一歩かも知れませんが、この活動によって、難民の 方々が少しでも平和で幸せな生活を送れるよう願っています。

日本に逃れてきた後も、苦しんでいる難民を助けたい。
今、私たちにできることは?


難民の問題は、どこか遠い国で起こっている問題で、日本で暮らしている自分には関係ない、正直私も、そう思っていました。
しかし日本にも、毎年新たに多くの難民が来日しているのです。

そして残念なことに、難民申請の結果を待っている人は、日本という国に、日本での暮らしに、少なからず失望していることでしょう。

人が希望を持って生きていくためには、社会とつながり、働き、教育を受けるという機会が必要不可欠です。

それは、平和や安全、教育や就労の機会を提供できる日本社会だからこそできる取り組みではないでしょうか?
日本に逃れてきた難民を支えることは、日本社会に暮らす私たちだけができる支援です。

あなたのワンアクションで、救われる難民がいます。
1日約50円から始められる「難民スペシャルサポーター」の一員に、あなたもなってみませんか?

>>難民スペシャルサポーターになる<<
情報提供:認定NPO法人難民支援協会

運営会社利用規約個人情報保護方針個人情報の取扱いについて
Copyright © gooddo, Inc. All Rights Reserved.