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母国ではびこるメディア抑圧、侵される言論の自由・・・。 ジャーナリストだったダニエルさんを待っていた悲劇。
ダニエル(仮名)さんは、母国であるエチオピアで、言論の自由がない社会を変えようと、ジャーナリストとして熱心に活動をしていました。
しかし、その活動が政府に目をつけられ、命を狙われるようになってしまったのです。
母国のため、ダニエルさんは身を隠しながら、果敢に記事を書き続けました。
しかし、近しい仲間が暗殺され、彼にもいよいよ危険が迫ってきました。
ダニエルさんには、妻と3人の子どもたちがいて、家族のことは本当に心配でした。
でも… 「自分が殺されてしまっては、家族を守ることも、母国を変えることもできない。」
ダニエルさんは、エチオピアからの出国を決め、難民を受け入れている国へ逃れる方法を探し始めました。
難民の受け入れ状況や、知人がいるアメリカへの出国が、ダニエルさんにとっては最も望ましいことでした。
しかし、アメリカを含む難民を多く受け入れている国々は、どこもビザの取得が難航…。
そうこうしている間に、ダニエルさんの身へ危険が差し迫っていました。
そんなとき、たまたま大きな国際会議が日本で開催され、ジャーナリストとして渡航できたダニエルさんは、日本のビザを取得することができたのです。
日本に知り合いはおらず、もちろん日本語も全く分かりません。
でも、、 「時間がない・・・」 ダニエルさんに、国を選んでいる余地はありませんでした。
命の危険から逃れるため、やってきた日本での生活とは・・・?
日本に入国し、空港からとりあえず向かった場所は、東京都内。
安宿を探しましたが、ダニエルさんの母国とは物価が全く違いました。
持ってきたお金は、はじめの3日で底をつき、その後公園で夜を明かすようになったそう。
タイミングが悪いことに、ダニエルさんが来日したのは初冬。
年間を通じて温暖なエチオピア出身のダニエルさんにとって、初めて経験する東京の冬はとても厳しいものでした。
寒空の下、気丈に耐え続けましたが、道行く人に助けを求め、教えてもらった支援先が、「認定NPO法人難民支援協会」でした。
ダニエルさんが、たどり着いた「難民支援協会」
日本社会の、厳しい現実とは?
千代田区西神田にある、難民支援協会のオフィスにやってきたダニエルさん。
泊まるところがなく、助けを求めてやってきましたが、残念ながらそのとき難民支援協会が提供できる一時宿泊施設のシェルターは、すべて満室でした。
やむを得ず、緊急支援金と、寝袋を難民支援協会でもらい、ダニエルさんはシェルターに空きがでるまで待つことになりました。
難民支援協会にたどり着いた、ダニエルさんのような方々への支援にあたっているスタッフの新島彩子さん。
直接難民の方からの相談に応じ、カウンセリングを行う支援現場で働いています。
彼女が働き始めたきっかけは、「日本に難民がいる」という事実に衝撃を受けたことでした。
難民の方々は自らの意思で来日したわけではないにも関わらず、大変な生活を強いられ、困難を抱えている。
そんな彼らを私たちは見過ごしていいのか? その思いが、彼女の中にずっとあったそうです。
「自分たちがあきらめたら、彼らは一体どうなるのか」と自らを奮い立たせ、支援者の方からの励ましに支えられながら、支援の最前線に立っています。
「難民の方にとって最初の関門が、公的支援につながるまでのおよそ40日間。その間は自力で生き抜く必要があります。働くことも認められません」
ダニエルさんのような方は、すぐにでもシェルターに入ってもらいたい、しかしシェルターを維持し、増やしていくためには膨大な費用がかかり、全員分には到底足りません。
そんな中、 「日本への観光客増加に伴い、宿泊費は高騰」 「難民が増えている中、公的支援の規模は横ばいのまま」 といった厳しい現実が立ちはだかっています。
シェルターの順番を待つ間、健康状態の良い成人男性には、ホームレスで暮らしてもらわざるを得ない期間もあるそう。
彼らは、在留資格がないなどの理由のために収容施設へ送られるリスクと隣り合わせの生活を強いられます。
最悪のケースはそもそも、空港にたどり着いた後に外に出ることができず、母国へ強制送還されることもあるのです。
新島さんは、日々こんな想像をしています。
「もし私自身が、帰る家はなく、頼る人もおらず、言葉の通じない国に一人で放り出されたら?」
今当たり前の生活が、すべて崩れてしまう。 考えるだけでゾッとする経験をしている難民の方と、新島さんは日々接しているのです。
難民になって、多くのものをなくしたけれど・・・。
母国では、ジャーナリストをしていたダニエルさん。
日本にきて「難民」になるまでは、私たちと同じように仕事をし、家族と暮らす「生活」がありました。
日本にきて、ようやく危険から逃れることはできても、ホームレスになってしまうことを想定していた難民の方が、はたして何人いるのでしょうか?
逃れてきた先でも、生活は続いていきます。
今までは当たり前だった、「人としての当たり前の生活」それを取り戻すことからスタートし、新しい環境で新しい人生を切り開いていかなくてはなりません。
その後ダニエルさんは、無事シェルターに入ることができました。
そして、新島さんを始めとした難民支援協会の協力のもと、難民申請を提出することもできました。
しかし、申請の結果が出るまでかかる期間は、平均4年4か月(※)・・・。
その間も、ダニエルさんは日本で生活していかなくてはなりません。
ダニエルさんは、難民支援協会から、生活に必要な物資を提供してもらいながら、自分の力で日本で生活していかれるよう、努力し続ける毎日を送っています。
「離れ離れになってしまった家族と、はやく日本で一緒に暮らしたい」 それが、ダニエルさんの一番の願いです。
30秒で終わる「難民支援協会」の活動に関するアンケートに答えて、無料でできる支援に参加しよう!
紹介したダニエルさんのように、切羽詰まって日本へやってきたものの、難民と認定されず、家族と離れ離れの生活を送っている、そんな現実が私たちが暮らす日本にもあります。
日本で命の危険を感じることなく生まれ育った私たちには、「自分が日本にいられなくなる」そんな状況を想像することは難しいことです。
しかし、生まれた国が違えば、自分が生まれ育った国を追われ、言葉も通じず知り合いが誰もいない国で暮らすことを、余儀なくされる人生もある。
そして、そんな人生に立ち向かっている人たちが、日々新たに来日しているのです。
困難な状況を抱えながら日本で暮らしている難民を、年間約700人支援しているのが、認定NPO法人難民支援協会さん。
今なら、30秒で終わる3問のアンケートに答えていただくだけで、10円の支援金が難民支援協会さんに届けられます。
支援にかかる費用は、サポーター企業が負担するため、あなたに費用はかかりません。
ここまで関心を持って読んでいただき、ありがとうございます。
「日本に逃れてきた難民を助けたい!」
もしあなたがそうお思いなら、アンケートに答えて支援に参加してみませんか?
アンケートに答えて支援する※すべての画像はイメージであり、本文エピソードとは関係ございません。
情報提供:認定NPO法人難民支援協会